ヤコブの巡礼路
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宗教改革以前、ヘルフォルトはサンティアゴ・デ・コンポステーラに至るヤコブの巡礼路の重要な中継地点であった。本市は、マインツからリューベックに至る交易路と、ハーメルンからオスナブリュックに至る交易路との交差点という交通の便が良い場所であった。北にはヘルヴェーク・フォア・デム・ザントフォルデ(現在の連邦道 B65号線)、南にはパーダーボルンからゾーストに至るヴェストフェリシャー・ヘルヴェークが延びていた。 ヘルフォルトにあった数多くの兄弟団が巡礼者の面倒を見、病院や簡易宿舎を運営していた。4つの巡礼宿が確実に記録されている: マルタ騎士団管区本部近くのコムトゥーア通り沿いにあったゲルトルーデン=ガストハウス(1545年に閉鎖)、現在のリュッバー通り 31番地の巡礼宿、ラーデヴィガー通り 25番のフュルステナウ=ハウス、隣の 24番地の現存しない建物である。 巡礼者にとって魅力的だったのは、ヘルフォルダー・ヴィジョンの奇蹟の現場であるマリエン教会と、聖プジナの聖遺物を有しているミュンスター教会があることであった。遠方からの商人の休憩地であり市場であったラーデヴィークに礼拝堂が建設された。この例は堂から後にヤコービ教会(ラーデヴィガー教会)が成立した。1510年の教皇ユリウス2世の勅書に基づき。ヤコービ教会は教区教会では、ヤコブ信仰のための純粋な巡礼教会となった。1530年に「国を苦しめるものである」という理由により、この教会は参事会の指示に従って巡礼者に対して扉を閉ざした。しかしその後も17世紀になるまでヤコブの巡礼者はこの街を訪れていた。 現存するヤコブ信仰の徴としては、レーメンスニーダー=ハウス(ブリューダー通り 26番地)、トラウフェンハウス(トリベン通り 18番地)、1494年建造のヤコービ教会のファサードや印章、1523年の市長ヨハン・フォン・リンテレンの紋章、ヘルフォルト・ミュンスターの聖ヤコブ像、ヘルフォルト博物館収蔵で現在非公開の1350年に作製された 2体の石像がある。 1987年にヤコブの巡礼路について科学的な調査記録を作成し、蘇生させるという欧州議会の勧告がなされた。ミンデンからヘルフォルト - ビーレフェルト - レーダ=ヴィーデンブリュックを経てリップシュタットまでの区間、さらにはゾースト方面への巡礼ルートの研究は、ウルリケ・シュピヒャルの指導の下、ヴェストファーレン=リッペ地域連合の考古委員会によってなされた。学術研究の完成と "Weg 3" と名付けられたヤコブの巡礼路の標識設置は2009年に始まった。この巡礼路は、2013年4月のミンデン聖堂での大規模な式典によって聖別された。
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