モードとの出会い
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「ウィリアム・バトラー・イェイツ」の記事における「モードとの出会い」の解説
1889年1月、イェイツは活動家モード・ゴン(英語版)に出会う。モードはイギリス軍人の娘でありながらアイルランド農民の悲惨な暮らしに深く心を寄せ、過激なアイルランド独立闘争運動に身を投じていた。イェイツは彼女の美貌と活発な気性に魅せられ、出会ってまもなく彼女に求婚する。当時フランス人記者の恋人がいたモードはこれを断るが、その後もイェイツの恋情は失われることがなかった。イェイツは50歳すぎまで独身を続け、幾度か彼女に求婚を繰り返しながら、生涯を通してモードを詩想源とする作品を書き続けた。 1890年、耽美派詩人たちと語らって「詩人クラブ」(Rhymers' Club)を結成、酒場に集まって自作の朗読と批評を繰り返した。この集まりには同世代のアーネスト・ダウソン、アーサー・シモンズのほか、年長のオスカー・ワイルドも参加することがあった。イェイツはこの集まりを通じてフランス象徴派詩人たちの活動に触れることになったほか、この酒場で浸った芸術至上主義こそ自分の詩作の原点だったと後に振り返っている。 また1892年にはアイルランド出身の詩人たちと「アイルランド文芸協会」(The Irish Literary Society of London)を設立、ダブリンにも文芸団体を発足させて民族文学の発掘と普及に力を入れ始めた。
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