モンゴル社会の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 03:07 UTC 版)
「モンゴル人の名前」の記事における「モンゴル社会の近代化」の解説
モンゴル人は、基本的に氏(家族名、family name)をもたなかった。16世紀後半、アルタン・ハーンのチベット仏教入信を契機に、チベット語による命名の習慣が急速に普及・定着する。20世紀以降、モンゴル人の居住地域はソ連(現ロシア)領(ブリヤート、カルムイク)、独立国家のモンゴル人民共和国(現モンゴル国)、中国領(内蒙古、青海、新疆)など3カ国に分断、それぞれが独自に姓や、家族名の役割をはたす呼称についての習慣を確立していく。 モンゴル国(旧モンゴル人民共和国)のモンゴル人 基本的に父の名(状況によって母の名)を「家族名」の代用として使用する習慣が成立した。 ロシア(旧ソ連)領のモンゴル人 父の名を「家族名」とするのに加え、「父称」を用いるロシア(ソ連)式習慣を付加 中国領のモンゴル人 家族間では民族名を用いる一方、公的場面では中国姓・中国名を名乗る オボク(氏族名)+個人名をなのる 個人名の全体または一部にチベット語を用いる習慣も、根強く残っている。
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