モルガン・スタンレー・グループ・インク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:07 UTC 版)
「モルガン・スタンレー」の記事における「モルガン・スタンレー・グループ・インク」の解説
1933年に成立したグラス・スティーガル法により、旧JPモルガン(現在のJPモルガン・チェース)の投資銀行部門がモルガン・スタンレーとして1935年にニューヨーク州法人として分離独立。なお、商号の「モルガン」とは、分離の際にモルガン・スタンレー側へ移り同社の共同創設者の1人となった従業員ヘンリー・スタージス・モルガンに由来する。この従業員は、旧JPモルガンの創設者であるジョン・ピアポント・モルガンの孫でもある。 一度精算した後、1941年にパートナーシップとして、モルガン・スタンレー・アンド・カンパニーを設立、証券業務へ傾注した。 1966年、モルガン・ギャランティ・トラストをともなって、フランス子会社(Morgan & Cie International S.A.)を設立した。1968年モルガン・ギャランティ・トラストがユーロクリアを設立した。1969年、デラウェア州法人として改めてモルガン・スタンレー・アンド・カンパニーを設立、数年をかけてパートナーシップの全事業を継承した。デラウェア州は衡平法裁判所が残っている。法人の合併や買収に関連する法人間の紛争を扱うことが多い。同州にはデュポン本社もある。英仏を臨む大西洋の証券業務は戦前の繁栄を取り戻そうとしていた。 1975年、デラウェア州法人としてモルガン・スタンレー・ホールディングズ・インコーポレレーテッドを設立した。この持株会社がモルガン・スタンレー・アンド・カンパニーおよび関連事業体の全株式を保有した。1978年持株会社はモルガン・スタンレー・インクとなって、さらに1985年モルガン・スタンレー・グループ・インクへ商号変更した。1988年モルガン・スタンレーの社員・投資家を内部者取引容疑で証券取引委員会が摘発した。マイケル・ミルケンの時代であった。
※この「モルガン・スタンレー・グループ・インク」の解説は、「モルガン・スタンレー」の解説の一部です。
「モルガン・スタンレー・グループ・インク」を含む「モルガン・スタンレー」の記事については、「モルガン・スタンレー」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からモルガン・スタンレー・グループ・インクを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からモルガン・スタンレー・グループ・インクを検索
- モルガン・スタンレー・グループ・インクのページへのリンク