モルガンの意をくんでNPへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/22 06:30 UTC 版)
「チャールズ・サンガー・メレン」の記事における「モルガンの意をくんでNPへ」の解説
モルガンが経営するマーチャント・バンク、J・P・モルガン・アンド・カンパニーは、1893年秋に倒産したノーザン・パシフィック鉄道の破産管財を担っていた。メレンは会社再建のために積極的な働きをし、混乱していたNPの経営再建の目処が立った1897年に社長に就任した。(この間の経緯は「ノーザン・パシフィック鉄道・モルガンの介入」 も参照) メレンが在任している間、NPの収入は156%に増加。その割を食った形になったのがグレート・ノーザン鉄道(GN)である。メレンはNPを太平洋に到達させ、GNとそのルートを争った(GNとは、のちにノーザン・セキュリティーズとして連合する)。GNの設立者の一人であるジェームズ・ジェローム・ヒルは「モルガンはメレンを過大評価している」としていた。しかし、この時点でメレンはモルガンに忠実な人物であった。メレンは「自分はモルガンの配下にいることを誇りに思っている」と語っている。 しかしメレンは、モルガン・ヒルグループとエドワード・ヘンリー・ハリマンがNPの株をめぐって敵対し、ハリマンがNPを乗っ取ろうと策謀していることを知らされていなかった。この動きは、ハリマンがNPの子会社であるシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道(CB&Q)を手に入れるためにNPごと入手しようとしたもので、1901年恐慌の原因となったもので、一連の動きをノーザン・パシフィック・コーナーと呼ぶ。メレンはこの動きにおいて、蚊帳の外であった。 「ノーザン・パシフィック・コーナー」を参照
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