マーガレット (植物)
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マーガレット | |||||||||||||||||||||||||||
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マーガレット
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Argyranthemum frutescens (L.) Sch.Bip. |
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シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
Chrythanthemum frutescens L. |
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
モクシュンギク(木春菊) | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Marguerite |
マーガレット(英: Marguerite [ˌmɑːrgəˈriːt]:マーガリート、学名:Argyranthemum frutescens)は、キク科の半耐寒性多年草。和名はモクシュンギク(木春菊)。
特徴
観賞用の園芸植物(花卉)として、主に温室やビニールハウスで栽培される。
カナリア諸島が原産地で、17世紀末にヨーロッパへ渡る。日本には明治時代末期に伝わり、大正時代から幅広く栽培されるようになった。3-7月に花をつける。白色の一重咲きが普通であるが、黄色やピンクのもの、八重咲き、丁字咲きのものもある。本来は宿根草であるが、日本では温暖地でないと越冬できない。フランスギク属のシャスターデージー Leucanthemum x superbum やフランスギク Leucanthemum vulgare とよく混同される。何年も越冬できて大株になってくると茎が木質化し、低木のようになる。繁殖は挿し芽による。
色々な花の咲き方があり、真ん中におしべ、めしべがありその周りに花びらがついている咲き方や、全体に花びらが付いている、オペラ咲きなどがある。
歴史
16世紀後半、ナバラ(現在のスペイン北東部ピレネー山脈南麓にある自治州)の王女マルグリット・ド・ヴァロワは、マーガレットの花を大変好んだ。
当時、フランス国内ではカトリックとプロテスタント(ユグノーと呼ばれていた。)の抗争が激化していた。この宗教対立を解消するため、カトリックであったマルグリットは、ユグノー教の長であるナバール王アンリ(後のアンリ4世)と政略結婚をさせられた。結婚式はパリで1572年8月18日に行われたが、これが引き金の一つとなり、5日後の1572年8月24日にユグノーの大虐殺(サン・バルテルミの虐殺)が起こった。
1578年9月、マルグリットはナバラに里帰りをし、ボルドーで盛大な歓迎を受けた。その時、領民にマーガレットの花束を贈られたのに感激し、この花を自分の花にしたという[1]。
関連項目
脚注
- ^ 瀧井康勝『366日 誕生花の本』日本ヴォーグ社、1990年11月30日、250頁。
外部リンク
- マーガレットとは|育て方がわかる植物図鑑 - みんなの趣味の園芸(NHK出版)
- モクシュンギクのページへのリンク