メイン州・ニューブランズウィック州国境設定委員会
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「ジェイムズ・サリバン (州知事)」の記事における「メイン州・ニューブランズウィック州国境設定委員会」の解説
1796年、サリバンはアメリカ合衆国国務長官ティモシー・ピカリングから、ジェイ条約の条件下でメインとイギリス領(現在のカナダ)ニューブランズウィック植民地との間の国境を正式なものとする二国間委員会の、アメリカ側代理人に指名された。国境の南側部分は、アメリカ独立戦争を終わらせた1783年のパリ条約で、セントクロア川と定義されていたが、当時のこの地域はほとんど人が住まず、測量もほとんど行われず、地域の地図には名称を付けられた川にも矛盾するものを含んでいることがあったので、どの川が実際に有効な国境になるのか問題があった。 サリバンの任務は地域の地図や法的に有効な文書を集め、どれを境界とすべきかアメリカ合衆国のために法的な根拠を示すことだった。マサチューセッツの古文書から資料を探すことに加え、まだ測量が十分でない遠隔のパサマコディ湾を探検することに多くの時間を使い、マガグアダビック川が条約交渉担当者によって意図された川である根拠を示そうとした。1604年にフランス人が川の中にある島に入植した場所がどの川であるかを決めるために委員や代理人が地域を探検し、測量を命じた。その測量でセントクロア島の入植地の証拠を突き止め、その後委員会は現在のセントクロア川と呼ばれるものに南側の国境を定めた。湾の中の幾つかの島の処分は解決されず、国境の北側の部分が設定されたのは1842年のウェブスター=アッシュバートン条約が締結されてからになった。
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