ムーンドッグの音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:26 UTC 版)
ムーンドッグの音楽は、地下鉄や霧笛など、街頭で聞こえる音からインスピレーションを受けたものであった。作品は比較的単純なものになることが多く、ムーンドッグ自身が「ぬるぬるしたリズム、普通ではない調子(...)4分の4拍子に殉じるつもりはない」と述べた、「スネークタイム(snaketime)」と称する表現で特徴づけられていた。 ムーンドッグの音楽を、1940年代の時点で最初に取り上げたのは、ニューヨーク交響楽団の指揮者であったアルトゥール・ロジンスキであった。1950年代には、ロジンスキによって多数のムーンドッグの作品がSP盤、シングル盤、EP盤や、数枚のLPが、有名なジャズ・レーベル多数からリリースされ、その中には、1957年にジュリー・アンドリュースやマーティン・グリーン(英語版)と一緒に制作した、子ども向けのお話と歌が入った変わり種の作品『Songs of Sense and Nonsense - Tell it Again』も含まれていた。その後、十年ほどの間、ムーンドッグは新たなレコーディングを行なわなかったが、1969年に至って、音楽プロデューサーのジェームズ・ウィリアム・ゲルシオ(英語版)がムーンドッグをスタジオに連れて行き、コロムビア・レコードにアルバム1枚を録音させた。 ゲルシオがプロデュースした2枚目のアルバムは、ムーンドッグの娘のひとりをヴォーカリストにした、カノンや輪唱の形式で作曲された歌が収められたものであった。このアルバムは、1枚目のアルバムに比べ、ポピュラー音楽に及ぼした影響は小さいものにとどまった。CBSから出されたこの2枚のアルバムは、後に1989年に1枚のCDとして再リリースされた。 ムーンドッグの作品は大部分がドイツのマナガルム音楽出版(Managarm Musikverlag)によって出版されている。最終的な遺言で、ムーンドッグは遺産をイローナ・ゾマーに遺贈した。 イローナ・ゾマーは2011年9月に死去した。遺言により、ムーンドッグ作品の著作権を含む彼女の遺産は、ベルリンの弁護士アレクサンダー・デューヴ(Alexander Duve)の管理下に置かれることとなった。このため、ムーンドッグの遺産も、デューヴの管理下にある。
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