ミストラル1969客車とは? わかりやすく解説

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ミストラル1969客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 06:49 UTC 版)

TEE」の記事における「ミストラル1969客車」の解説

1969年ミストラル投入され客車で、「新ミストラル(Nouveau Mistral)」とも呼ばれる基本的な設計PBA形と同様であるが、PBA系統よりも乗車時間が長いことが想定されていたので食堂車存在する。またミストラル専用売店理容室秘書室を備えた「特別バー」車もあった。 1968年から1970年にかけて86両が製造されフランス国TEEミストラルリヨネ、ロダニアンのほか、パリ・ルールパリ - ドルトムント)にも用いられた。1974年にはさらに36両が増備され、シザルパンパリ - ミラノ)およびパリ - ブリュッセル系統増発あてられた。1974年製造分の開放座席車のうち5両はスイス連邦鉄道、6両はベルギー国鉄所属である。パリ・ブリュッセル・アムステルダム系統ではPBA形と混結して用いられた。 車両内訳以下の通り一等開放座席車(A8tu) : 28両 + 11両(ベルギー国鉄スイス国鉄所属一等コンパートメント車(A8u) : 27両 + 15両 特別バー車(Arux) : 4両 - ミストラル専用 食堂車(Vru) : 11両 + 2両 一等開放座席バー合造車(A3rtu) : 2両 + 3両 一等開放座席・荷物・電源車(A5Dtux) : 14両 + 5両 1976年以降リヨネミストラルなどの廃止とともにミストラル69型アルバレートフランス国内の他方面への列車転用された。1984年以降一部二等車改造されている。1996年営業運転終え1999年には44両がキューバ売却された。

※この「ミストラル1969客車」の解説は、「TEE」の解説の一部です。
「ミストラル1969客車」を含む「TEE」の記事については、「TEE」の概要を参照ください。

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