マル戦計画
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マル戦計画(マルせんけいかく)は、1943年から1944年に計画された日本海軍の戦備計画。戦史叢書では第二段戦備計画[注 1](1943年)以降の戦備計画(主に建艦計画)の事務処理上の略称としている[1]。予算上の計画名は戦時建造計画[2]。
概要
1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦によって大日本帝国海軍は主力の航空母艦を失ったことから、⑤計画が大幅に改められた改⑤計画に改められ再出発した[3]。しかし、1943年(昭和18年)2月のガダルカナル島の撤退以後、戦局の悪化で海上補給作戦能力の強化、対潜兵力および陸上防備兵力等の増勢が緊急を要する様相となったため、改⑤計画などで計画された大型艦艇の建造を中止・延期し、小型艦艇の増勢を図って1943年6月にマル戦計画の実施計画が策定された[1]。マル戦計画は戦況の悪化によって戦備計画が度々修正されていくが、計画艦艇は予算を融通され帝国議会での予算成立に先立って建造が開始された[3][4]。
計画の推移
第二段戦備計画
日本海軍はミッドウェー海戦の結果によって戦備計画を変更していたが(改⑤計画)、1943年(昭和18年)2月、ガダルカナル島撤収後の米軍反攻に対処の為にその戦備計画の変更を要する情勢となっていた。それまでの戦備計画の方針は洋上決戦を指向していたため、日本海軍には局地戦に対応する兵力が不足していた。そのため日本海軍は南東方面で発生した局地戦に洋上作戦兵力をこれに投入したため、これらに多くの損害を生じた。また、同時期には潜水艦による船舶の被害が、1942年9月まではひと月に5万トン程度であった損害が同年10月以降にはひと月に20万トンへと損害が飛躍的に増加し、早急に対策しなくてはならなくなった[2]。
以上の戦況から、補給用艦船および対潜艦艇の建造ならびに陸上防備兵力の増勢、局地用小型艇建造の戦備計画が研究され、1943年(昭和18年)4月22日、軍令部次長から海軍次官にその実施方法に関する協議文が発せられた。同年6月、この協議による軍令部の要望に海軍省が修正を加えた以下のような実行計画が立案された。その実行は第二段戦備[注 1]は第三段戦備の実行と交錯している[2]。
昭和18年度戦時艦船建造補充の実行計画
艦種 | 竣工目途(年度) | 計 | 軍令部要求 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
1943 | 1944 | 1945 | ||||
海防艦 | 24 | 100 | 120 | 244 | 330 | |
魚雷艇 | 甲 | 0 | 8 | 20 | 28 | 100 |
乙 | 150 | 240 | 62 | 452 | 380 | |
潜水艦 | 0 | 0 | 13 | 13 | 50 | |
哨戒艇 | 甲 | 0 | 0 | 未定 | 未定 | 90 |
乙 | 約60 | 120 | 120 | 300 | 300 | |
高速輸送艦 | 0 | 4 | 6 | 10 | 32 | |
潜水輸送艦 | 0 | 1 | 6 | 7 | 19 |
既定計画艦艇の繰延[2]
- 航空母艦
- 巡洋艦
- 改阿賀野型軽巡洋艦
- 5037番艦:中止
- 5038番艦:追って協議で決定
- 改阿賀野型軽巡洋艦
- 潜水母艦
- J-27型
- 5034番艦:中止
- 5035番艦:追って協議で決定
- 5036番艦:追って協議で決定
- J-27型
- 飛行艇母艦
- 秋津洲型
- 303号艦:中止
- 5031号艦:中止
- 5032号艦:追って協議で決定
- 5033号艦:追って協議で決定
- 秋津洲型
- 給油艦
第三段戦備計画
戦備計画の策定
1943年(昭和18年)2月のガダルカナル島撤退後、大本営海軍部は戦線の整理と占領地域の防備を固め、連合軍の侵攻を撃破する持久作戦を採ることとし、これを「第三段作戦帝国海軍作戦方針」とした。同年6月には第二段戦備の実行計画が策定されたが、想定より速い戦局の推移から、第二戦備計画改訂した同年8月に軍令部は第9回戦備考査部会議において「第三段作戦に応ずる戦備」を海軍省に要望した。
第三段戦備計画では軍令部が艦艇の他に航空機生産数などを要求した。しかし、資材や人員の関係が限られているために海軍航空本部と海軍艦政本部の意見が対立し、海軍省軍務局は海軍省兵備局の資材取得の見通しと等を勘案し調整案を提案した[2]。しかし、この軍務局案に軍令部は航空機が要求から削減されたことに反発し、この案を承服しなかった。そのため、軍務局は航空機最優先のみを決定し、生産機数は決定せず増産に邁進することとした。同年10月、軍令部の要求と省内の言い分をまとめきれず、陸軍省との資材配分の交渉も失敗したことから、軍務局は的確な解決策を示せず、具体的案はなく骨子のみを決定し第三段戦備の実行を促進することとした[2]。
軍需省の設置
1943年(昭和18年)9月から10月にかけて陸海民間の航空工業全般に対する行政査察が実施された。査察では陸海軍の競合が暗礁に乗り上げていることと航空機の型式が過多であることが増産を妨げているということから生産行政の統一が必要であると報告された。この報告から、陸海軍は飛行機およびその関連兵器の生産業務を新設の軍需省に移管することとなった。同年11月には軍務省に担当部局が設置され、翌1月15日までに陸海民間の航空機生産関連業務の移管が完了した[2]。
戦備計画の実施
航空機
航空機の生産については前述のとおりに紆余曲折の結果、海軍省は約36000機の生産計画を立てこれを目標とした。1943年(昭和18年)中は概ね生産計画を達成したものの、1944年(昭和19年)以降は日本本土空襲および特殊機の生産割り込み、生産能力の飽和などの影響で増産不調に陥った[2]。
年度 | 生産機数 | ||
---|---|---|---|
軍令部要求 | 海軍省計画 | 実際の生産数 | |
1943 | 11,636 | 9,818 | 9,481 |
1944 | 30,200 | 25,905 | 13,479 |
艦艇
艦艇の建造は軍令部の追加要求に対して、軍務局は「18年度中は極力既定計画を促進する。19年度内については配当鋼材40万トンに応ずるように計画を圧縮する」とした。しかし、鋼材の制限による計画では軍令部の要求と大幅に異なり軍令部の同意を得られないことから、資材の特配に関する対外的折衝に努めることと海軍手持資材の活用の工夫を重ねることで増産の研究を行う方針とした。この方針の下、1944年(昭和19年)5月、艦政本部が立案した艦艇建造の実行計画は関係各部局の同意を得て成立した。また、第二段計画および第三段計画の建艦予算(一部、改⑤計画を含む)については第84~86回帝国議会において協賛、成立をみた[2]。潜高小型潜水艦は1944年(昭和19年)末に急速多量建造を目標として計画された[5]。
計画艦艇
以下の計画艦艇は昭和19、20年度臨時軍事予算によるもの[4][6]
- 丁型(松型):20隻
- 甲型:20隻
- 乙型:60隻
- 第一号型:100隻
- 第一号型:280隻
- 2D型戦時標準船:2隻
敷設艇
- 神島型:9隻
- 針尾型:4隻
建造結果
艦種 | 艦級 | 計画 | 中止・未起工 |
---|---|---|---|
潜水艦 | 丁型(伊三百六十一型) | 1 | 0 |
丁型改 | 6 | 4 | |
潜高型(伊二百一型) | 23 | 15 | |
潜輸小型(波百一型) | 12 | 0 | |
潜高小型(波二百一型) | 79 | 40 | |
駆逐艦 | 丁型(松型) | 20 | 10 |
海防艦 | 改乙型(鵜来型) | 21 | 12 |
丙型 | 132 | 67 | |
丁型 | 143 | 72 | |
海防艇 | 甲型 | 20 | 18 |
乙型 | 60 | 38 | |
駆潜艇 | 第一号型 | 100 | 0 |
哨戒艇 | 第一号型 | 280 | 223 |
魚雷艇 | 乙型 | 1540 | 0 |
隼艇 | |||
敷設艦 | 2D型戦時標準船 | 2 | 0 |
敷設艇 | 神島型 | 9 | 7 |
輸送艦 | 一等 | 46 | 24 |
二等 | 103 | 27 | |
給油艦 | 針尾型 | 4 | 3 |
脚注
注
- ^ a b 戦史叢書では1943年8月に大本営海軍部の要求した「第三段作戦に応ずる戦備」に対する海軍省の呼称の「第三段戦備計画」から遡って太平洋戦争開戦時点の既定計画及びミッドウェー海戦による⑤計画の改正(改⑤計画)までを第一段戦備計画、1943年6月に策定された戦備計画を第二段戦備計画とした(#海軍軍備2 p.1)。
出典
- ^ a b #海軍軍戦備2 p.3 - 4
- ^ a b c d e f g h i j k #海軍軍備2 p.65-100
- ^ a b #千藤三千造1952 p.100
- ^ a b c #船の科学1952 p.55-57
- ^ #潜水艦史 p.404
- ^ a b #千藤三千造1952 附表3
- ^ #潜水艦史 附表2
参考文献
- 千藤三千造『造艦技術の全貌 (わが軍事科学技術の真相と反省 ; 第1)』興洋社、1952年 。
- 国土交通省海事局 編『船の科学 5(4)(42)』船舶技術協会、1952年 。
- 防衛庁防衛研修所戦史室 編『海軍軍戦備 2 (開戦以後) (戦史叢書)』朝雲新聞社、1975年 。
- 防衛庁防衛研修所戦史室 編『潜水艦史 (戦史叢書)』朝雲新聞社、1979年 。
関連項目
- 戦備計画
- マル戦計画のページへのリンク