マリアのラスプーチン評
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「マリア・ラスプーチナ」の記事における「マリアのラスプーチン評」の解説
ラスプーチンの生涯については、マリアの回顧録に詳細に書かれている。彼女によると、ラスプーチンは正規の修道士ではなく、ロシア帝室に取り入るきっかけとなったアレクセイ皇太子の血友病を治癒したことについては、磁気を用いた治療だったと主張している。磁気治療は、シベリアの土着宗教フリスト派(英語版)の知恵を借りたものだと主張している。 マリアによると、1914年7月12日に発生したキオーニャ・グセヴァ(英語版)によるラスプーチン暗殺未遂事件以降、父親の人格が一変したという。マリアは、母プラスコヴィアと共にラスプーチンを連れてチュメニの病院に向かい、回復したラスプーチンは7週間後にペテルブルクに戻った。ラスプーチンは嗜好も変化し、「事件以降はデザートワインを好んで飲むようになった」とマリアは主張している。 マリアは孫娘に対して、ラスプーチンは寛大な人間だったと語っていた。ラスプーチンは「空っぽの財布で家に帰るべきではない」と語る反面、貧しい人々に金銭を渡していたという。孫娘のロランス・イオ=ソロヴィエフ(タチアナの娘)は、ラスプーチンの曾孫娘であることを隠し続けていたが、2005年に自身の出自を明かした。次女マリアは、「祖父はロシアと神、皇帝を愛し、大きな心と強い精神力を持つ人だった」と語っている。
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