マラーター王国の危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:36 UTC 版)
「マラーター王国」の記事における「マラーター王国の危機」の解説
サンバージーの死により、危機に陥ったマラーター王国はその弟ラージャーラームを擁し、ラーイガドを捨てて南方のシェンジへと逃げた。その後、ラーイガドは帝国軍により陥落させられ、サンバージーの息子シャーフーが捕虜となった。 その後、帝国軍はラージャーラームの籠城するシェンジを包囲し、マラーター王国は現地のタンジャーヴール・マラーター王国やマドゥライ・ナーヤカ朝の協力も得てこれに対抗した(シェンジ包囲戦)。一方、籠城に参加しなかったマラーター諸将はデカン地方において帝国軍と戦い続けた。 1698年1月、帝国軍はシェンジを落とし、8年近くにわたる包囲戦を終結させた。だが、逃げることに成功したラージャーラームはデカンへと戻り、サーターラーを王都とした。 しかし、アウラングゼーブもまたマラーターとの徹底抗戦の構えを見せ、1699年12月に彼はサーターラーを包囲し、1700年4月に陥落させた。この間、3月にシンハガドに逃れていたラージャーラームは死去した。 ラージャーラームの死後、その息子シヴァージー2世が王位を継承し、その母であるラージャーラームの妃ターラー・バーイーが摂政となった。彼女は優れた手腕を発揮し、ムガル帝国領のマールワー、ハーンデーシュ、グジャラート、ハイダラーバードを襲撃し始めた。アウラングゼーブはこれに疲弊し、シャーフーを擁立してマラーターとの和議を結ぼうとしたが、実を結ぶことはなかった。
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