シヴァージー2世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シヴァージー2世の意味・解説 

シヴァージー2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/18 15:03 UTC 版)

シヴァージー2世
Shivaji II
マラーター王
シヴァージー2世
在位 1700年3月10日 - 1708年1月12日
戴冠 1700年3月10日
別号 マハーラージャ
チャトラパティ
出生 1696年6月9日
シェンジ
死去 1726年3月14日
パンハーラー
子女 ラージャーラーム2世
王家 ボーンスレー家
宗教 ヒンドゥー教
テンプレートを表示

シヴァージー2世マラーティー語:शिवाजी, Shivaji II, 1696年6月9日 - 1726年3月14日)は、インドデカン地方マラーター王国の君主(在位:1700年 - 1708年)。コールハープル・マラーター王国の君主(在位:1710年 - 1714年)でもある。

生涯

1696年6月9日、マラーター王ラージャーラームとその妃ターラー・バーイーの息子として生まれた[1]。このとき、父は南インドシェンジに籠城し、ムガル帝国と戦っていた(シェンジ包囲戦)。

1698年1月、シェンジは長い籠城の末に陥落したが、ラージャーラームは逃げることに成功し、サーターラーへと逃げた[1]

1700年3月3日、父ラージャーラームが死亡すると、その息子であるシヴァージーがシヴァージー2世として王位を継承した。なお、彼は幼かったため、母であるターラー・バーイーが王国の摂政となった[1]

1707年5月、かつてのマラーター王サンバージーの息子シャーフーが釈放され、王位を主張してサーターラーに向かって戻ると、シヴァージー2世を擁するターラー・バーイーと対立した[1]

だが、同年10月、ターラー・バーイーの軍はシャーフーの軍勢にケードで敗れ(ケードの戦い)、1708年1月12日にシャーフーは即位式を挙げ、シヴァージー2世は廃位された。

その後、1710年にシヴァージー2世はシャーフーよりコールハープルに領地を与えられ、 マラーター王国の分国コールハープル・マラーター王国の王となった[1]

だが、1714年8月2日にシヴァージー2世は弟のサンバージー2世に廃位された。そののちパンハーラーに幽閉され、1726年3月14日天然痘で死亡した[1]

出典・脚注

  1. ^ a b c d e f Satara 3

関連項目

Template:コールハープル・マラーター王国の君主




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シヴァージー2世」の関連用語

シヴァージー2世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シヴァージー2世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシヴァージー2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS