マラーター王国との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 06:15 UTC 版)
「ハイダル・アリー」の記事における「マラーター王国との戦い」の解説
1764年1月、ハイダル・アリーはトゥンガバドラー川を越えてマラーター領に侵攻し、マラーター王国宰相マーダヴ・ラーオはこの動きを見て、同年2月に大軍を率いてマイソール王国へと遠征に向かった。 だが、この遠征に援助としてきていたその叔父ラグナート・ラーオは単独でマイソール王国と講和を結んだため、1765年3月30日に王国宰相マーダヴ・ラーオは和議を結び、貢納金350万ルピーを取って引き上げた。 しかし、1766年11月にマーダヴ・ラーオは再びマイソール王国へ遠征を行い、1767年3月4日にはマドゥギリを攻略し、5月に彼は帰還した。 この2度にわたる遠征により、マイソール王国の勢力拡大に一応の歯止めをかけられたが、ハイダル・アリーの領土拡大の野望は尽きなかった。
※この「マラーター王国との戦い」の解説は、「ハイダル・アリー」の解説の一部です。
「マラーター王国との戦い」を含む「ハイダル・アリー」の記事については、「ハイダル・アリー」の概要を参照ください。
- マラーター王国との戦いのページへのリンク