マラーター王位の奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 21:25 UTC 版)
1707年3月、皇帝アウラングゼーブが逝去し、5月にムガル帝国軍がデカンから撤退すると、シャーフーは釈放され自由の身となった。彼はサンバージーの正統な後継者としてマラーター王位を請求し、首都サーターラーに向けて戻った。シヴァージー2世の摂政ターラー・バーイーは兵を集めてこれに対抗しようとしたが、シャーフーもアフマドナガルで兵を集め、バーラージー・ヴィシュヴァナートはもとより、パルソージー・ボーンスレー、ダナージー・ジャーダヴなどの支持を取り付けた。 同年10月12日、シャーフーの率いる軍勢はプネーの近郊ケードおいて、ターラー・バーイーの軍を破った(ケードの戦い)。シャーフーはターラー・バーイーを追いサーターラーへと進撃したが、その途次にローヒダー城を守るシャンカラージー・サチーヴに服属を求めたが、彼は拒否して自殺した。 その後、同年12月にシャーフーはサーターラー城に入り、1708年1月12日に第5代マラーター王として即位した。
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