マスコミによる否定論調
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 15:29 UTC 版)
「御船千鶴子」の記事における「マスコミによる否定論調」の解説
1910年(明治43年)9月15日、物理学の権威で東京帝国大学の元総長の山川健次郎が立ち会いのもと、透視実験を行った。千鶴子は鉛管の中の文字の透視を「成功」させたものの、それは山川の用意したものではなく、福来が練習用に千鶴子に与えたものであったことが発覚する。この不審な経緯に、新聞は千鶴子の透視能力について否定的な論調を強めて行った。 透視実験において、医院で接する患者には正面から向き合っていたにもかかわらず、上記の通り実験時の千鶴子は常に観察者に背を向けて10分以上時間をかけており、成功したのは封筒の透視である。これだけ時間をかければ、背後からは分からないよう手の先だけを動かしてつばで封をはがし、体温で乾かして元に戻すことは可能であろうとの指摘は当時から出ていた。いずれの実験も条件としては不十分で、中には千鶴子を別室に入れて行ったものまである。 さらに、福来の著書「透視と念写」においてでも、最初の実験で送った19通の封印つき封筒のうち、「透視」が成功して帰って来たのは7通のみで、3通はうっかり火鉢に落として燃えた、残りは疲れてできないということであった。福来は単純に結果に驚愕したと書いているが、燃えたものはともかく、疲れてできない分は返送されていない。これは火鉢の湯気を当てて封を剥がし、綺麗に戻せたものだけを返送したと考えられている。
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