マシーン政治と市政改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:50 UTC 版)
「ピッツバーグ」の記事における「マシーン政治と市政改革」の解説
産業の町として急速に発展したピッツバーグでは、実業界の指導者がそのまま政治の指導者であり、選出・任命される幹部公務員もまた自分の事業を抱えていた。市の公共投資は彼らの事業に便宜を図るように実施されてきた。 アメリカ合衆国の諸都市では、19世紀後半に人口が増えて労働者の票が選挙に不可欠になると、中・下層の市民に個別的な便宜をはかって集票し、それを市政支配のために用いるマシーンが登場した。ピッツバーグのマシーンは、市職員から頭角を現したクリストファー・マギーと、労働者から実業家に成り上がったウィリアム・フリンが1880年に築いた共和党のマギー・フリン・リングと呼ばれるもので、1901年までピッツバーグの政治を完全に支配した。マギーとフリンは自らは基本的に公職につかず、親族・友人・部下たちを市議会議員に当選させ、議員を通じて思いのままに幹部職員の任命を行なった。実施される市の政策、公共事業はフリンの企業に利益をもたらすようにされた。 マシーン支配は利益誘導によって中・下層の大衆の支持を獲得するものであったが、腐敗から利益を得ない企業の経営者や、医師・弁護士などの専門職は不満を抱えていた。彼らは19世紀末から市政改革運動を起こして、マシーンの腐敗を追及し、市民リーグを結成した。1899年にマシーンからの造反者が市民党を作って市民リーグと手を結び、1901年にマギーが死ぬと、マギー・フリン・リングは選挙で敗れ、急速に崩壊した。1905年には民主党の市政改革派ジョージ・グズローが市長に当選した。市政改革は必ずしも市民参加をうながすものではなく、むしろ逆に、参加の機会を遮断することでマシーンを解体し、集権的・専門的な市政を作る方向に進んでいった。
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