マイナーリーグの危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:26 UTC 版)
「1952年のメジャーリーグベースボール」の記事における「マイナーリーグの危機」の解説
1948年の観客動員数2,092万842人をピークにその後は下がり続けて、この年のナショナルリーグはピーク時から3割も観客動員数を減らして、1952年だけでも前年から両リーグあわせて約150万人が減少した。そしてそれはメジャーリーグのみならずマイナーリーグの方がより深刻な事態となった。1949年にはマイナーリーグ全体で464球団が存在したが、AAA級からAA級・A級・B級・C級・D級までの6クラス59リーグのうち、16リーグがこの3年間に姿を消した。そしてラジオに代わってテレビが普及し始めてメジャーリーグの試合を中継したためマイナーリーグは危機感を募らせた。1950年まではメジャーもマイナーも自己のチームの本拠地から半径50マイル(80キロ)以内の地域で放送する野球中継はテレビ・ラジオとも、そのチームが規制できることになっていた。ところが連邦司法省がこの規制は独占禁止法に触れる恐れがあるとしたため、1951年に撤廃した。そのため遠くの大リーグの試合をテレビで見られるようなったことでマイナーリーグの観客数減少傾向は続いていた。そこで防衛策としてパシフィックコーストリーグを始めマイナーリーグの各リーグは自己の区域に大リーグの試合を放送する場合はその放送料・放映料をプールして財政的な危機に陥ったチームを援助するという提案をメジャーリーグに突き付けたが拒否された。フォード・フリックコミッショナーはこのテレビ・ラジオの野球中継に関する問題を討議する委員会を発足させたが何ら進展しなかった。
※この「マイナーリーグの危機」の解説は、「1952年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「マイナーリーグの危機」を含む「1952年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1952年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- マイナーリーグの危機のページへのリンク