ボス外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 14:06 UTC 版)
ジョゼフ・ボナンノージョゼフ・プロファチの同盟関係に対抗し、ルッケーゼとの連携を強化した(1962年息子トーマスがルッケーゼの娘と結婚)。1962年初め五大ファミリー代表が参集したコミッションの場で、ガンビーノは、1959年よりギャロ兄弟と内部抗争を続けていたプロファチに対し、ボスを引退するよう迫ったが、ボナンノの猛反対で阻まれた。一説に、ギャロと密かに通じプロファチへの造反を煽ったのはガンビーノとされる。1962年6月、プロファチが病死すると、1920年代からのプロファチの盟友で副ボスのジョセフ・マリオッコがボスを継いだが、ガンビーノはギャロの問題を解決していないと難癖をつけ、さらにマリオッコがガンビーノ、ルッケーゼ、ステファノ・マガディーノの暗殺を企てたとして釈明を求めた。1963年8月、アトランティックシティでのコミッションで、マリオッコはボス辞任を余儀なくされた。1964年1月、ガンビーノは精肉業で顔見知りだったジョゼフ・コロンボを旧プロファチ一家の新たなボスに推薦し、コミッションで認められた。 ガンビーノらは、マリオッコが糾弾されたのと期を同じくして、ガンビーノ暗殺未遂計画の背後にボナンノがいたとしてボナンノにもコミッションの場で釈明するよう求めたが、1963年12月頃、ボナンノはファミリーのオペレーションを息子ビルに委ねて雲隠れした。その後ボナンノ一家は内輪もめで分裂して抗争する(バナナ戦争)が、ガンビーノの陰謀ではないかと噂された。1968年までに、ボナンノを引退に追い込んだ。 フィラデルフィアのマフィアボスに仲間のアンジェロ・ブルーノを据え、ニューイングランドのボスのレイモンド・パトリアルカと緊密な関係を築いた。その後も全方位のマフィア外交を展開し、五大ファミリーをリードした。 一家内ではビオンドを副ボスに据えていたが、1963年までにアナスタシア忠誠派カポ3人のうちアーマンド・ラヴァとジョニー・ロビトットを粛清し、アニエロ・デラクローチェを1965年頃、副ボスに抜擢した。アナスタシア暗殺以来一家内でくすぶる不穏分子を懐柔する役目と監視する役目の両方を人望の厚いデラクローチェに任せ、ファミリーの分裂を防いだ。
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