ホワイティ・フォードの引退
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「1967年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ホワイティ・フォードの引退」の解説
前年最下位のニューヨーク・ヤンキースはこの年も低迷が続き9位に終わった。シーズン中の5月30日に1950年代から1960年代にかけてヤンキースのエースとして活躍したホワイティ・フォードが引退した。地元ニューヨークのマンハッタン育ちで高校卒業後1948年にヤンキースに入団。1950年のシーズン途中にメジャーデビューして20試合登板して9勝1敗の好成績であった。シーズン最終盤で0.5ゲーム差の2位で首位タイガースを追っていた時に対タイガース戦に新人ながら先発して勝利投手となり逆転優勝した。対フィリーズとのワールドシリーズでも第4戦に先発して9回2死まで投げて勝利投手となり早くから注目を集めた。しかしすぐに兵役に就き朝鮮戦争に2年間従軍して1953年にメジャーリーグに復帰し18勝を上げ、この年から1965年まで13年間を平均17勝の勝ち星を積み上げ負け越したことは無かった。1955年18勝、1961年25勝、1963年24勝で最多勝、1956年2.47、1958年2.01で最優秀防御率、1961年にはサイ・ヤング賞に選ばれている。ワールドシリーズは通算146イニング投げて10勝8敗、防御率2.71、1961年にはシリーズMVPで1960年から1962年にかけて33イニング連続無失点のメジャーリーグ記録を作り、当時ミッキー・マントルと並ぶヤンキースの至宝であった。前年から左腕の故障で思うような投球が出来ず、両年とも2勝しか出来なかった。通算236勝106敗、奪三振1956、防御率2.75。1974年に親友でもあったマントルとともに殿堂入りした。
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