プロ野球退団後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/23 18:13 UTC 版)
退団後、1999年より社会人野球がプロ野球経験者の受け入れを解禁するという報道を目にし、現役続行を決意。1998年は、工務店で勤務しながら、古巣である東海理化のコーチを務め、プロアマの壁となっていた社会人の元プロ選手受け入れ禁止が解禁された同年1月に岐阜市の昭和コンクリートへ入部した。1961年の柳川事件以降30年余り断絶されていた元プロ野球選手のアマチュア復帰第1号選手となったことから注目を集めた。昭和コンクリートでは当初抑え投手として起用されていたが、チーム晩節時には先発投手としても活躍した。 2003年、昭和コンクリートが休部したことを受け、翌2004年に西濃運輸に移籍した。ここで阪神にドラフト同期で入団した中ノ瀬幸泰と再会した(中ノ瀬は2000年に入社。2004年シーズンはコーチ兼任投手として活躍。同シーズンをもって現役を引退し、2005年シーズンから2009年までは投手コーチとして活動。)。西濃運輸には1シーズン在籍した後、現役を引退。プロ退団後の社会人野球在籍期間は6シーズンであった。 現在は愛知県蒲郡市内に居住し、愛知県立蒲郡東高等学校の硬式野球部コーチを2015年春より務めている。
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