プルマン・パレス・カーの設立と発展
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1867年2月22日、プルマン・パレス・カー・カンパニー (Pullman Palace Car Company) が設立された。同年、シカゴとニューヨークの間でホテルカーの運行が始まり、翌年には食堂車が導入された。それまでの客車の常識を覆し、カーペットやカーテン、布張りの椅子に図書館、カードテーブルまで備え、比類なき乗客サービスの豪華な寝台車を製造した。1870年には専用の車両工場も設立された。安全性の向上にも積極的に取り組み、1871年にはジョージ・ウェスティングハウスが開発したばかりの空気ブレーキを導入した。1887年には暖房を従来の石炭ストーブからスチーム温水暖房へ変えて快適な車内環境を実現した。車内照明についても、トーマス・エジソンが発明したばかりの白熱電球を試験しているが、当時のフィラメントは振動に弱く実用化できなかったため、1891年からピンチガスを利用したガス灯を使うようになった。 一方で、1894年にはプルマン・ストライキ (Pullman Strike) にも見舞われた。これは不況のさなかにプルマンが労働時間を減らして賃金カットを行ったが、会社が労働者に貸していた住居の家賃は引き下げなかったことが原因となった。労働者たちは、ユージン・V・デブス率いるアメリカ鉄道組合 (American Railway Union) に加盟していた。 ジョージ・プルマンが1897年に死去した後、エイブラハム・リンカーンの息子のロバート・トッド・リンカーンが社長になった。
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