ブラガンサ王朝の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 08:04 UTC 版)
「ブラガンサ王朝」の記事における「ブラガンサ王朝の成立」の解説
フェリペ2世以後、続くフェリペ3世、フェリペ4世と3代にわたりスペイン・ハプスブルク家の王がポルトガル王を兼ねたが、ポルトガル人は他国の王の支配を嫌い、1640年にスペインに対する反乱を起こして、独立を回復した。新国王にはブラガンサ公ジョアン1世とカタリナの孫である第8代ブラガンサ公ジョアン2世がジョアン4世として推戴され、ポルトガル王政復古戦争を経てスペインからの独立を承認させた。そして以後、ポルトガル王位はジョアン4世の家系によって継承されることになった。 17世紀末以来ブラジルから大量の金が流入したため、ブラガンサ王朝の初期には華やかなバロック文化が花開いた。1750年に即位したジョゼ1世はポンバル侯爵を登用して啓蒙専制政治を行い、教会財産を没収、イエズス会も追放された。その一方で経済的には対英依存が深まり、対英輸入は輸出の2倍に達していた(メシュエン条約)。1755年に起こったリスボン大地震も大きな打撃となった。ポンパルはこの状況を打開するためイギリスから最新の機械を導入するなど、ポルトガルの初期的工業化も進めた。マリア1世はポンパルを追放して政治犯800人を解放したが、経済的には対英赤字の解消が達成された。しかし1789年に起きたフランス革命はマリア1世を動揺させ、精神崩壊へと至らせた。
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