ブラガンサ家の起こり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 08:04 UTC 版)
「ブラガンサ王朝」の記事における「ブラガンサ家の起こり」の解説
ブラガンサ家は、アヴィス家の初代ジョアン1世の庶子アフォンソ(1377年 - 1461年)に始まる、アヴィス王朝成立期から続くアヴィス家の庶流の分家である。アフォンソはジョアン1世の孫アフォンソ5世王の時代にブラガンサ公に叙せられ、以後その子孫により公位が継承された。アフォンソは異母弟コインブラ公ペドロを追い落とし、ポルトガル宮廷の実権を掌握したが、後にペドロの外孫であるジョアン2世王がアフォンソの孫ブラガンサ公フェルナンド2世(1430年 - 1483年)を反逆罪で処刑している。 アヴィス家の諸分家は、ブラガンサ家を含めてしばしば同族間での通婚を重ねており、ジョアン2世の王妃レオノール・デ・ヴィゼウやその弟で王位を継いだマヌエル1世はブラガンサ公アフォンソの曾孫であった(マヌエルの母ベアトリスはペドロの弟ジョアン王子とアフォンソの娘イザベルの娘であった)。また、マヌエル1世の次姉イザベル・デ・ヴィゼウ (en) がブラガンサ公フェルナンド2世と結婚している。 第6代ブラガンサ公ジョアン1世(英語版、ポルトガル語版)(1543年 - 1583年、フェルナンド2世の曾孫)はマヌエル1世の孫カタリナと結婚していたが、カタリナの母イザベル・デ・ブラガンサ (en) はジョアンの父テオドジオ1世(1510年 - 1563年)の妹であった。カタリナはまた、伯父エンリケ1世の王位継承候補者の一人であったが、同じくマヌエル1世の孫であるスペイン王フェリペ2世がエンリケ1世の死後にリスボンを制圧し、1580年にポルトガル王位についた。
※この「ブラガンサ家の起こり」の解説は、「ブラガンサ王朝」の解説の一部です。
「ブラガンサ家の起こり」を含む「ブラガンサ王朝」の記事については、「ブラガンサ王朝」の概要を参照ください。
- ブラガンサ家の起こりのページへのリンク