ブラガンサ家霊廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/31 23:58 UTC 版)
「サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院」の記事における「ブラガンサ家霊廟」の解説
ポルトガルにおける信仰問題が溶解すると、修道院は、1834年にリスボン大司教の宮殿に変わった。数十年後、フェルナンド2世は、僧侶らの古い食堂をブラガンサ家の王・女王たちの墓所に変え、それまでの教会堂から墓をブラガンサ家霊廟へ移した。自ら建設したエストレラ大聖堂に埋葬されたマリア1世と、1972年にブラジル皇帝としてサンパウロの独立記念碑に改葬されたペドロ4世の2人を除く、ブラガンサ家の全ての王たちがここに埋葬されている。1908年に共和主義者によって暗殺されたカルロス1世と長男ブラガンサ公ルイス・フィリペの墓には、死者を悼む等身大の像が立っている。 ウィキメディア・コモンズには、サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院に関連するカテゴリがあります。
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