ペドロ5世 (ポルトガル王)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ペドロ5世 (ポルトガル王)の意味・解説 

ペドロ5世 (ポルトガル王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/10 00:32 UTC 版)

ペドロ5世
Pedro V
ポルトガル国王
ペドロ5世
在位 1853年11月15日 - 1861年11月11日
別号 有望王

全名 Pedro de Alcântara Maria Fernando Miguel Rafael Gonzaga Xavier João António Leopoldo Victor Francisco de Assis Júlio Amélio
ペドロ・デ・アルカンタラ・マリア・フェルナンド・ミゲル・ラファエル・ゴンザガ・シャヴィエル・ジョアン・アントニオ・レオポルド・ヴィクトル・フランシスコ・デ・アシス・ジュリオ・アメリオ
出生 (1837-09-16) 1837年9月16日
ポルトガル王国リスボンネセシダーデス宮殿
死去 (1861-11-11) 1861年11月11日(24歳没)
ポルトガル王国リスボンネセシダーデス宮殿
埋葬 ポルトガル王国リスボンサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院ブラガンサ家霊廟ポルトガル語版
配偶者 エステファニア・デ・オーエンゾレルン=シグマリンジェン
家名 ブラガンサ=サクセ=コブルゴ・イ・ゴータ家
王朝 ブラガンサ=サクセ=コブルゴ・イ・ゴータ朝
父親 フェルナンド2世
母親 マリア2世
宗教 キリスト教カトリック教会
サイン
テンプレートを表示

ペドロ5世ポルトガル語: Pedro V1837年9月16日 - 1861年11月11日)は、ポルトガル国王(在位:1853年11月15日 - 1861年11月11日)。「有望王(o Esperançoso)」と呼ばれる。マリア2世とその王配で共治国王だったフェルナンド2世の長男。

1968年に発行された1000エスクード紙幣に肖像が採用されていた。

生涯

1853年、母王マリア2世の死去を受けて王位に即いた。ペドロ5世は父フェルナンド2世の後見の下、極めて熱心にポルトガルのインフラストラクチャーの近代化に取り組み、道路・電信・鉄道の整備や公衆衛生の改善に努めた。しかし、ペドロ5世自身はこの恩恵にあずかることはできなかった。コレラに罹り、1861年に四弟のフェルナンドとともに24歳で死去した。王妃のエステファニア(ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カール・アントンの娘)との間に子供はおらず、王位は次弟のルイス1世が嗣いだ。

脚注

参考文献

  • Castelo Branco e Torres, João Carlos Feo Cardoso de (1838) (Portuguese). Resenha das familias titulares do Reino de Portugal: acompanhada das notícias biographicas de alguns individuos das mesmas famílias. Lisbon: Imprensa Nacional 
  • Pinto, Albano da Silveira (1883) (Portuguese). Resenha das familias titulares e grandes de Portugal. I. Lisbon: Francisco Arthur da Silva 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ペドロ5世 (ポルトガル王)」の関連用語

ペドロ5世 (ポルトガル王)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ペドロ5世 (ポルトガル王)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのペドロ5世 (ポルトガル王) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS