レオノール・デ・ヴィゼウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 05:58 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動レオノール・デ・ヴィゼウ Leonor de Viseu |
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ポルトガル王妃 | |
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在位 | 1481年8月29日 - 1495年10月25日 |
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出生 | 1458年5月2日![]() |
死去 | 1525年11月17日(67歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
結婚 | 1471年1月18日 |
配偶者 | ポルトガル王ジョアン2世 |
子女 | アフォンソ ジョアン |
家名 | アヴィス家 |
父親 | ヴィゼウ公フェルナンド |
母親 | ベアトリス・デ・ポルトゥガル |
宗教 | ローマ・カトリック |
サイン | ![]() |
レオノール・デ・ヴィゼウ(Leonor de Viseu, 1458年5月2日 - 1525年11月17日)は、ポルトガル王ジョアン2世の王妃。
生涯
ヴィゼウ公フェルナンド(アフォンソ5世の弟)と妃ベアトリス(ドゥアルテ1世の弟ジョアンの娘)の長女として、ベージャで生まれた。
1471年1月、当時ポルトガル公(王太子)だった従兄ジョアンと結婚、2子をもうけたが、成人したのは1人だった。
- アフォンソ(1475年 - 1491年)
- ジョアン(1483年、夭折)
王妃となってから、カルダシュ・ダ・ライーニャ(現在のレイリア県の都市で「王妃の温泉」の意味)の町を建設した。1491年、ポルトガル公アフォンソが落馬によって急死した。ポルトガル公妃イザベル(カトリック両王の長女)との間には子がなく、未亡人となったイザベルはカスティーリャへ帰国した。
ジョアン2世は、愛妾アナ・デ・メンドンサ(アフォンソ5世の後妻フアナ王妃の女官)との間に庶子ジョルジェ(1481年 - 1550年)がおり、ジョルジェを後継としたい意向だった。ジョアン2世には兄弟がないため、嫡出の血統をさかのぼると、ヴィゼウ公フェルナンドの次男でレオノールの弟、ベージャ公マヌエルが最も近く年長だった。レオノールの強い働きかけの結果、後継に指名されたのはマヌエルで、ジョアン2世の死後マヌエル1世として即位し、元ポルトガル公妃イサベルを自らの妃に迎えた。
マヌエル1世と2番目の妃マリア(イサベルの妹)との間の息子ジョアン3世の即位後の1525年に死去した。
固有名詞の分類
ポルトガルの王妃 |
ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・モリナ ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・グスマン レオノール・デ・ヴィゼウ マリア・ピア・デ・サボイア イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ |
アヴィシュ家 |
フェルナンド聖王子 ベアトリーチェ・デル・ポルトガッロ レオノール・デ・ヴィゼウ イザベル・ド・ポルテュガル アントニオ・デ・ポルトゥガル |
ポルトガルのプリンシペ |
マリア・テレザ・デ・ブラガンサ ラヌッチョ1世 アンヌ・ドートリッシュ レオノール・デ・ヴィゼウ マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル |
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