フン族による支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 11:44 UTC 版)
4世紀後半、スキリア族はフン族に征服された。381年、スキリア族やカルピ人、少数のフン族からなる軍団がドナウ川下流部を渡ってローマ帝国に侵攻したが、テオドシウス1世に撃退された。 4世紀後半から5世紀にかけてのどこかの時点で、スキリア族は西方のドナウ川中流域に移動したと考えられている。この地で、スキリア族はフン族の指導者ウルディンを支える重要な役割を果たした。409年、ウルディン率いるスキリア族とフン族はドナウ川を渡り、ローマ帝国領バルカンに侵攻した。彼らはカストラ・マルティスを占領したが、最終的に帝国軍に敗れ、ウルディンは殺された。フン族の捕虜がローマ軍に登用されたのに対し、スキリア族の捕虜は奴隷とされ、コロヌスとしてアナトリアへ送られた。この時、あまりにスキリア族の人間が多いので、反乱防止のため広い範囲に散らすように送られたという。この事件はテオドシウス法典の中に記録されている。 アッティラのもとでフン族の威勢が頂点に達したころ、スキリア族は彼の元で強力な歩兵部隊として仕えていた。アッティラの帝国はフン族やスキリア族だけでなく、ゴート族、ゲピド族、テューリンゲン族、ルギイ族、スエビ族、ヘルール族、アラン人、サルマタイ人をも包含していた。スキリア族は451年のアッティラのガリア侵攻にも参戦している。 アッティラ死後、フン族の帝国は崩壊した。この時、スキリア族の一部の集団がドナウ川下流域の南岸の属州スキュティア・ミノルとモエシア・セクンダに渡り、定着した。一方でヨルダネスによれば、アッティラの次男デンギジックのもとで、4つの部族がフン族に忠誠を誓い続けていた。すなわちウルツィンズレス族、ビットゥグレス族、バルドレス族、アンギスキリ族であるという。この最後のアンギスキリ族は、スキリア族の残余である可能性がある。「アンギスキリ」という名はゲルマン語的に「草原のスキリア族」と解釈することができる。ただ、他の三部族がそうであるように、テュルク語での解釈が適切である可能性も否定できない。
※この「フン族による支配」の解説は、「スキリア族」の解説の一部です。
「フン族による支配」を含む「スキリア族」の記事については、「スキリア族」の概要を参照ください。
- フン族による支配のページへのリンク