フェラーリ席巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:41 UTC 版)
「2002年のF1世界選手権」の記事における「フェラーリ席巻」の解説
フェラーリは第4戦から新車「フェラーリ・F2002」投入する予定であり、第3戦までは旧車フェラーリ・F2001で戦う計画であった。開幕戦はミハエル・シューマッハが制したものの、第2戦はウィリアムズ優勝という展開に衝撃を受け、急きょ第3戦からシューマッハのみ新車を投入し同レースを優勝。第4戦からは予定通り2台とも新車を投入。以降はシーズンの主導権を握り続け、ドライバーズチャンピオンシップは、シューマッハが早くも第11戦フランスGPでタイトルを確定させ、3連覇を達成。同時に1950年代のF1チャンピオン、ファン・マヌエル・ファンジオとならぶ5度目のタイトル獲得を果たした。最終的には全レースで表彰台圏内フィニッシュ、当時最多となる年間11勝という類を見ない記録を打ち立てた。チームメイトでランキング2位のルーベンス・バリチェロとのワンツーフィニッシュも9回を数えたが、第6戦オーストリアGPでは、最終ラップでのチームオーダーにより首位を走行していたバリチェロがシューマッハに勝利を譲るなど、物議を醸すようなシーンも見られ、翌2003年にはチームオーダーが禁止された。 コンストラクターズチャンピオンシップも、第12戦の段階でフェラーリのタイトルが確定。チームとしては17戦15勝を挙げ、当時最多となる221ポイントを獲得したが、これは他10チームがこの2002年のチャンピオンシップで獲得したポイントと同数である。フェラーリの独走によりレースがつまらなくなるという声もきかれ、FIAは翌年に大幅なレギュレーション改定を行うに至った。
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