ピンダロスとバッキュリデースとは? わかりやすく解説

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ピンダロスとバッキュリデース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:44 UTC 版)

祝勝歌」の記事における「ピンダロスとバッキュリデース」の解説

古代ギリシア祝勝歌最盛期迎えたのは、二人詩人、ピンダロスとバッキュリデースの時代であったバッキュリデースはキオース島(EN)で紀元前520年頃に生まれたとされるシモーニデースの甥であった古代ギリシア9歌唱詩人一人で、彼の作品ヘレニズム時代紀元5世紀頃まではよく知られていたが、ほとんどの作品断片の形でしか伝わっていなかった。しかし、1896年エジプトのヘリオポリス・マグナ(現在の El-Ashmunein )でほぼ完全な形の「祝勝歌集」と『ディテュランボス』の前半部分発見されたことから、その作風確認することが可能となったバッキュリデースはシラキュサの僭主ヒエロンの元にシモーニデースピンダロス同様に、客として滞在していたと考えられる。ヒエロンの宮廷において、ピンダロスと彼は敵対関係にあったとも伝えられているが、後世伝記作者捏造である。 バッキュリデース作風は、その『ディテュランボスディオニューソス讃歌)』で示されているように、ディオニューソス的な騒擾地上的な賑やかさにあるが、これはピンダロスが『ピューティア第一祝勝歌』で示しているアポローン的な天的静謐さとは対極にあるとも言えるピンダロス祝勝歌は、勝利者対す素朴な称賛言葉だけではなく人間とは何かという「問いかけ」が含まれている。バッキュリデース祝勝歌遙かに分かりやすく依頼者の期待応え端的に勝利を称賛するうたとなっている。 「問いかける悲劇詩人エウリーピデースが、アテーナイ人々にその意図汲み取られないまま、危険人物視され故国去ったのと似てピンダロスまた、そのうたに組み込んだ思索深さより誤解受けたとも言える紀元前468年にヒエロンはオリュンピア競技祭典で戦車競走優勝したが、ヒエロンはバッキュリデース祝勝歌依頼行いピンダロス無視された。ピンダロスの「人間とは何か」という問いは、現代的な意味を持っていると言える

※この「ピンダロスとバッキュリデース」の解説は、「祝勝歌」の解説の一部です。
「ピンダロスとバッキュリデース」を含む「祝勝歌」の記事については、「祝勝歌」の概要を参照ください。

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