パレスサイドビルディング設立
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「パレスサイドビルディング」の記事における「パレスサイドビルディング設立」の解説
この売却に先立つ、1963年(昭和38年)11月、毎日新聞社、日本リーダーズダイジェスト、それに三和銀行の系列会社東洋不動産(現:三信)の三社が、それぞれ四・四・二の割合で金を出し合い、資本金5億円で「パレスサイドビルディング」を設立する。この会社は、毎日の新社屋にもなるパレスサイドビルのメンテナンスを受け持つためつくられた会社だが、実はビル自体を所有するオーナーでもあった。ビルの経営に三和銀行が参加したのは理由があり、毎日の経理局長を経て社長となる平岡敏男が著した『毎日新聞私の五十年』の中で三和の実力者渡辺忠雄の話として「最初リーダイは毎日新聞社と五分五分で提携することを危惧した。三和銀行が参加したのはその関係であった」と説明し、平岡自身が語るところによれば、毎日の役員会の内部にはリーダイが持っている土地を買って、毎日単独でビルをつくろうという意見も、小さながら上がったという。ところがリーダーズダイジェストは土地を手放さかった。結局、新社屋建設の総指揮をとっていた専務の梅島貞(のち社長)をはじめ、「当時のトップの経営判断」で、毎日、リーダイに三和をふくめた三社が共同出資してビル会社をつくり、ビルの所有権はすべてここにゆだねるという形に落ち着き建設に進むことになった。
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