パフィング・デヴィル号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 04:49 UTC 版)
「リチャード・トレビシック」の記事における「パフィング・デヴィル号」の解説
彼は、鉱山技師の経験を活かして蒸気機関を用いた自動車(蒸気自動車)の製作を始め、1801年には蒸気自動車を試作した。 1801年、カムボーンで人間が乗り込める蒸気自動車を公開した(蒸気自動車としてはニコラ=ジョゼフ・キュニョーが1770年に製作したものが最初とされる)。トレビシックはこれをパフィング・デヴィル号 (Puffing Devil) と名付け、同年のクリスマス・イヴに数名を乗り込ませて走らせることに成功した。いとこのアンドリュー・ビビアン(英語版)がこれを操縦した。これが蒸気を動力源とする交通の世界初のデモンストレーションとされている。この出来事からコーンウォールの民謡「カムボーンヒル(英語版)」が生まれた。 その後も試験を続け、3日後に道路にあった溝を通り過ぎた後で蒸気自動車が故障した。運転手は蒸気機関の火を消さずに自動車を放置し、近くのパブで飲食した。その間に内部の水が沸騰し、機関が過熱して壊れた。トレビシックはこれを重大な失敗とは考えず、むしろ運転手の過失と考えた。 1802年、高圧蒸気機関の特許を取得。アイデアを証明するため1802年、シュロップシャーのコールブルックデール(英語版)で据置型機関を製作。水位を一定にして仕事量を測定した。この蒸気機関は145psiという前例のないボイラー圧力で、毎分40回のピストン運動で動作した。
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