バーブリー・マスジド破壊事件とは? わかりやすく解説

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バーブリー・マスジド破壊事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/11 09:46 UTC 版)

インドの宗教間対立」の記事における「バーブリー・マスジド破壊事件」の解説

インド北部アヨーディヤーは、インド叙事詩ラーマーヤナ主人公ラーマ王子の生誕地とされ、ヒンドゥー教徒重要な聖地である。1528年この地にムガル帝国初代皇帝バーブルイスラム教の礼拝モスク建設しバーブリー・マスジドバーブルモスク)と名づけられた。1980年代後半以後ヒンドゥー聖地存在するモスク対しヒンドゥー至上主義者たちの反感高まり1992年12月6日に「世界ヒンドゥー協会」のメンバー先頭となり多数暴徒化したヒンドゥー教徒モスク押し寄せモスク破壊し倒壊させた。この事件インド全土波及し各地暴動起こって死者の数1000人を超えたバーブリー・マスジド跡地政府管理していたが、民族義勇団世界ヒンドゥー協会はこの地にヒンドゥー寺院建設認めるよう当時インド人民党政府迫り2002年2月アヨーディヤー寺院建設のための大規模な決起集会インド全土から賛同者集めて開催したインド人民党民族義勇団と近い政党であるが、この時は連立政権他党反発恐れ建設許可出さず結果的に裁判所2002年3月マスジド跡地での宗教活動禁止」を命じた。ところが決起集会参加したグジャラート州世界ヒンドゥー協会メンバー乗った列車グジャラート州のゴードラー駅でイスラム教暴徒放火され、死者58人を出した事件翌日からグジャラート州内で暴動多発し死者合計800人を超えた

※この「バーブリー・マスジド破壊事件」の解説は、「インドの宗教間対立」の解説の一部です。
「バーブリー・マスジド破壊事件」を含む「インドの宗教間対立」の記事については、「インドの宗教間対立」の概要を参照ください。

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