バーブ教への入信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 04:54 UTC 版)
「ファーテメ・バラガーニー」の記事における「バーブ教への入信」の解説
ファーテメはモッラー・モハンマド・サーレフ・バラガーニー(英語版)の娘として、テヘランの近くのカズヴィーンで育った。13歳のとき、同地でいとこのモハンマド・イブン・モハンマド・タギーと結婚し、二人の息子と一人の娘をもうけた。父から宗教的教育を受け、やがてイラクのアタバート(シーア派聖廟都市)で全盛期にあるシャイヒー運動指導者らとのやりとりを始める。最終的に彼女は自分でその地へと赴いた。 彼女は本名とは別に、シャイヒー運動の第2代指導者であるラシュトのセイイェド・カーゼム(英語版)によって与えられたもうひとつの宗教的呼び名であるクッラトゥル・アインとしてもよく知られている。カーゼムの死後、彼女は文のやりとりを通してシーラーズのセイイェド・アリー=モハンマド(バーブ)の存在を知り、マフディーとして受け入れた。彼女は『生ける文字(英語版)』(アラビア語: حروف الحی)として知られるバーブの使徒の17番目のメンバーとして加わった。彼女はバーブの使徒の中で唯一の女性であり、そのため時にマグダラのマリアとの類似性を論ぜられることもある。しかし他の「生ける文字」らと異なり、彼女はバーブに直接面会したことはなかった。
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