バッスム墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 12:13 UTC 版)
エッシェンハウザー通り沿いの墓地は、最も古い箇所は1850年頃に利用が始まった。ここに葬られたのは、当初は女子修道院長と修道女たちだけであった。この墓地では1967年まで埋葬が行われていた。しかしたびたび泥棒に襲われたため閉鎖された。かつては女子修道院長の墓の近くにバッスムの牧師、教師、聖職者が埋葬された。バッスムの各地区はかつて、この墓地の古い部分にそれぞれの区画を有していた。 この墓地は、現在、面積約 5.2 ヘクタール、墓は約3500基まで拡張された。葬式は1971年までは木組み建築の礼拝堂で行われていたが火災で焼失し、1972年に現在の礼拝堂が建設され、180人の参列者を収容できるようになった。教会組織は、2003年にこの礼拝堂を増築した。ここには陽当たりの良いアトリウム、親族の集会室、参列者の社交室、トイレ、3つの近代的な葬儀室がある。 バッスム墓地には、セイヨウボダイジュが並ぶ通りがある。これを空から見ると十字型に配置されている。 敷地内には2つの軍人墓地区画がある。第二次世界大戦末期にバッスムでの低空飛行によって亡くなった26人の兵士が1つの区画に、1945年5月から6月に収容所で死亡したソ連、ルーマニア、ハンガリー、ベルギー、スペインの戦争捕虜29人が別の区画に葬られている。 1915年にこの墓地内に設けられた子供墓地の近くに、「シュテルネンキンダー」(直訳: 星の子供)の区画がある。ここでは年に数回、聖アンスガー病院連合(バッスム、ディープホルツ、ズーリンゲン)での死産児の骨壺が葬儀を経て埋葬される。 棺や骨壺のための共用区画(宗教に拠らず利用できる墓地区画)は、線路沿いの新しい部分にある。その他、ここには選択式骨壺墓地区画が整備され、将来的には菱形の区画になる予定である。
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