ハーバード大学学長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/10 21:30 UTC 版)
「エドワード・エヴァレット」の記事における「ハーバード大学学長」の解説
1846年、エヴァレットは母校ハーバード大学の学長に就任した。エヴァレットはもともと学長職に関心が薄く、政界への復帰の機を伺うつなぎとして、不承不承に就任したポストであった。エヴァレットは自身の創作活動や研究活動の時間を奪われることを嫌い、管理責任からは一歩引いたスタンスを維持した。 エヴァレットは前任者から引き継いだ貧しい経営状態について、絶えず不満を漏らした。礼拝堂に出席する学生の身なりは貧相で、学内は荒れた状態が恒常化していた。飲酒が常態化し、中庭での焚火や売春は、日常的な出来事であった。建物は修繕の必要があった。エヴァレットは学生からのいたずらに悩まされていたが、対立的な学生や教員を相手にして事態改善を図るには準備不足であると感じていた。エヴァレットは学生から「頑固な婆さん」とあだ名を付けられ、自宅フェンスには落書きが絶えなかった。 エヴァレットは学長在任中にローレンス科学学校を創設した。ローレンス科学学校はルイス・アガシーの指導の下、大学院レベルの科学研究の中心地となった。またエヴァレットは中庭の隔離、寄付金の増加、大学図書館員の職務の明文化、学則の全面改訂などを行った。1849年にホイッグ党が再び政権を握ると、エヴァレットは学長職を辞職し、政治活動を再開した。
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