ハーバード大学学長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 20:35 UTC 版)
| ハーバード大学 学長 |
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|---|---|
ハーバード大学学長の印章
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現職者 アラン・ガーバー (暫定学長) 就任日 2024年1月2日 |
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| 任命 | ハーバード・コーポレーション |
| 創設 | 1640年 |
| 初代 | ヘンリー・ダンスター |
| ウェブサイト | www |
ハーバード大学学長(president of Harvard University)は、ハーバード大学の最高管理者であり、ハーバード・コーポレーションの職権上の社長である[1]。
2024年1月2日に第30代学長のクローディン・ゲイが辞任を表明し[2]、2024年5月時点ではアラン・ガーバーが暫定学長を務めている[3]。
ハーバード大学学長の一覧
| 代数 | 画像 | 学長 | 任期 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| – | ナサニエル・イートン | 1637年-1639年 | ハーバード・カレッジの「校長」(schoolmaster) | |
| 1 | ヘンリー・ダンスター | 1640年-1654年 | ||
| 2 | チャールズ・チョーンシー | 1654年-1672年 | ||
| 3 | レオナルド・ホアー | 1672年-1675年 | ||
| 4 | ユリアン・オークス | 1675年-1680年(代行)、1680年-1681年 | ||
| 5 | ジョン・ロジャーズ | 1682年-1684年 | ||
| 6 | インクリース・マサー | 1685年-1686年(代行)、1686年-1692年(レクター)、1692年-1701年 | ||
| – | サミュエル・ウィラード | 1701年-1707年(代行) | ||
| 7 | ジョン・レバレット | 1708年-1724年 | ||
| 8 | ベンジャミン・ワズワース | 1725年-1737年 | ||
| 9 | エドワード・ホリオーク | 1737年-1769年 | ||
| 10 | サミュエル・ロック | 1770年-1773年 | ||
| 11 | サミュエル・ラングドン | 1774年-1780年 | ||
| 12 | ジョセフ・ウィラード | 1781年-1804年 | ||
| – | エリファレット・ピアソン | 1804年-1806年(代行) | ||
| 13 | サミュエル・ウェバー | 1806年-1810年 | ||
| 14 | ジョン・ソーントン・カークランド | 1810年-1828年 | ||
| 15 | ジョサイア・クィンシー | 1829年-1845年 | ||
| 16 | エドワード・エヴァレット | 1846年-1849年 | ||
| 17 | ジャレッド・スパークス | 1849年-1853年 | ||
| 18 | ジェームズ・ウォーカー | 1853年-1860年 | ||
| 19 | コーネリアス・コンウェイ・フェルトン | 1860年-1862年 | ||
| 20 | トーマス・ヒル | 1862年-1868年 | ||
| 21 | チャールズ・ウィリアム・エリオット | 1869年-1909年 | ||
| 22 | A・ローレンス・ローウェル | 1909年-1933年 | ||
| 23 | ジェイムス・B・コナント | 1933年-1953年 | ||
| 24 | ネイサン・プセイ | 1953年-1971年 | ||
| 25 | デレック・ボック | 1971年-1991年、2006年-2007年(代行) | ||
| 26 | ニール・ルーデンスタイン | 1991年-2001年 | ||
| 27 | ローレンス・サマーズ | 2001年-2006年 | ||
| 28 | ドリュー・ギルピン・ファウスト | 2007年-2018年 | 初の女性学長[4] | |
| 29 | ローレンス・バコウ | 2018年-2023年 | [5] | |
| 30 | クローディン・ゲイ | 2023年-2024年 | 2人目の女性および初のアフリカ系アメリカ人学長[6] | |
| – | アラン・ガーバー | 2024年- | ゲイの辞任後の暫定学長[3] |
脚注
出典
- ^ Central Administration Archived November 23, 2011, at the Wayback Machine. Governance of the University, from Office of the Provost
- ^ “米ハーバード大学長が辞任表明 反ユダヤ主義めぐる発言で批判、盗用疑惑も”. CNN.co.jp. 2024年5月14日閲覧。
- ^ a b “ハーバードとMIT、デモ参加者に最後通告-退去しなければ停学も”. Bloomberg.com (2024年5月7日). 2024年5月14日閲覧。
- ^ “First Female Harvard President Discusses Priorities and Goals”. pbs.org (2007年2月12日). 2020年3月15日閲覧。
- ^ Hartocollis, Anemona (2018年2月11日). “Harvard Chooses Lawrence Bacow as Its Next President”. The New York Times 2018年2月13日閲覧。
- ^ “Harvard names Claudine Gay 30th president”. The Harvard Gazette. (2022年12月15日)
外部リンク
ハーバード大学学長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/10 21:30 UTC 版)
「エドワード・エヴァレット」の記事における「ハーバード大学学長」の解説
1846年、エヴァレットは母校ハーバード大学の学長に就任した。エヴァレットはもともと学長職に関心が薄く、政界への復帰の機を伺うつなぎとして、不承不承に就任したポストであった。エヴァレットは自身の創作活動や研究活動の時間を奪われることを嫌い、管理責任からは一歩引いたスタンスを維持した。 エヴァレットは前任者から引き継いだ貧しい経営状態について、絶えず不満を漏らした。礼拝堂に出席する学生の身なりは貧相で、学内は荒れた状態が恒常化していた。飲酒が常態化し、中庭での焚火や売春は、日常的な出来事であった。建物は修繕の必要があった。エヴァレットは学生からのいたずらに悩まされていたが、対立的な学生や教員を相手にして事態改善を図るには準備不足であると感じていた。エヴァレットは学生から「頑固な婆さん」とあだ名を付けられ、自宅フェンスには落書きが絶えなかった。 エヴァレットは学長在任中にローレンス科学学校を創設した。ローレンス科学学校はルイス・アガシーの指導の下、大学院レベルの科学研究の中心地となった。またエヴァレットは中庭の隔離、寄付金の増加、大学図書館員の職務の明文化、学則の全面改訂などを行った。1849年にホイッグ党が再び政権を握ると、エヴァレットは学長職を辞職し、政治活動を再開した。
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