ハンス=マルティン・シュライヤー誘拐事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 02:26 UTC 版)
「ドイツの秋」の記事における「ハンス=マルティン・シュライヤー誘拐事件」の解説
詳細は「ハンス=マルティン・シュライヤー」を参照 この事件の衝撃が冷めない9月5日、RAFの「コマンドー部隊」がケルンで、ドイツ経営者連盟(BDA)会長・ドイツ産業連合(BDI)会長を務めるダイムラー・ベンツ重役ハンス=マルティン・シュライヤーの乗ったメルセデス・ベンツを襲った。専属の運転手、ボディガード、護衛についていた警官2名の計4名は射殺され、シュライヤーはケルン郊外の賃貸アパートに拉致監禁された。 シュライヤーはダイムラー・ベンツで社長の座を争っていた人物で1960年代末から財界活動に重点を移し、1968年に西ドイツ全土で起きた学生運動・労働運動では経営側の顔としてテレビなどで強硬な態度を示したため左派陣営からは主要な敵と目されていた人物であった。元ナチス党員で親衛隊の高級士官という前歴、ドイツの保守政界人との強いつながりも議論の的であった。シュライヤーは、獄中にいたRAF第一世代メンバーの釈放をヘルムート・シュミット政権に求める声明を出すよう強いられた。 警察による捜査は何度もシュライヤーの監禁場所に近づき、捜査員の一人はシュライヤーのいる部屋に聞き込みのために訪れるところまでいったものの、地元警察や連邦警察の捜査本部との連携不足により情報が伝わらず、結局空振りに終わった。
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