ハロルド、南方へ進む
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「ヘイスティングズの戦い」の記事における「ハロルド、南方へ進む」の解説
弟トスティとハーラル3世を北方で打ち破った後、モーカ(英語版)とエドウィン(英語版)を含む配下軍勢の大半を北に残し、ハロルドは残りの軍勢を率いて直面するノルマン侵攻に対処するため南方へ向かった。ギヨームの上陸をハロルドが知った時期は不明であるが、おそらくは南へ移動する最中のことであった。ハロルドはロンドンで停止し、ヘイスティングズに赴く前におよそ1週間に渡って当地に滞在したことから、彼はおよそ320キロ(200マイル)を1日あたり43キロ(27マイル)の平均速度で、南進に1週間程度をかけたようである。ハロルドは10月13日の夜にカルドベック丘の、描写されるところでは「霜白色の林檎樹」の近くに宿営した。この地はヘイスティングズにあるギヨームの城砦からは約13キロ(8マイル)の距離であった。同時代初期のフランスの記録はそのいくつかが、一人あるいは複数の使者がハロルドからギヨームの下へ派遣されたと言及しており、事実のようである。このような尽力からは何ももたらされなかった。 ハロルドはノルマン勢の不意を突こうと試みたものの、ギヨームの斥候はイングランド勢の到着を公へ報告していた。資料群には矛盾する記録が存在し、戦いに先立つ出来事の正確なところは不明瞭であるが、ギヨームが軍を率いて城砦から出立し、敵に向けて進軍した点では皆が一致している。ハロルドはヘイスティングズにあるギヨームの城砦からおよそ9.7キロ(6マイル)離れた、センラック丘(英語版)の頂(今日のイースト・サセックス州バトル)に防御位置を取っていた。
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