ニンニク祭り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 06:50 UTC 版)
一ノ矢八坂神社の例祭は旧暦の6月7日に催行される祇園祭であるが、一般に「ニンニク祭り」と呼ばれている。これは天明年間(1781年 - 1789年)に大飢饉が発生し、疫病も流行したため領主の堀田正英がニンニクの常食を勧めたのが始まりであるとされる。別の説では素戔嗚尊が朝鮮半島へ征伐に向かうときに少彦名命からニンニクの効用を教えたことによるとする。本来は14日間続く祭りであるが、一般に中間の7日を大祭とする。この大祭当日は神輿が出るが、担ぎ手の8人は紙をくわえて無言で担ぎ、10数人が警護する。 境内には露天商が隙間なく出店し、ニンニクを売る露店が出店する。宝永元年(1704年)に町立場が認められ、15人の地元百姓や他国の商人が出店したという記録がある。ここで買い求めたニンニクを家の門口に吊るしておくと病気や災難から逃れられるという信仰があり、近所の人にも配る。 「高田五兵衛家文書」の中にある「一ノ矢牛頭天王祭礼役人覚書」には、文安2年(1445年)時点の祭りの奉仕者について記載があり、神輿を中心に別当、幣帛持、長刀持、鉾持、御腰懸持、幣帛頭戴サセ役が行列をなして巡行する祭りであったことが窺える。ただしこの文書は近世に作成されたものであり、文安2年当時の情勢を正確に伝えているかは不明である。徒歩が主な移動手段であった頃には、夕刻の神輿渡御の際に大変な人出があったという。
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