ニチイから会津サティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 09:41 UTC 版)
1982年(昭和57年)7月には、会津若松駅前に東北ニチイ運営の「ニチイ会津若松店」(SC名としては「ニチイ会津若松ショッピングデパート」)として移転開業。1993年(平成5年)3月には、それまで駐車場だった4階のフロアを増床し、「会津サティ」(東北ニチイ初のサティ業態店舗)として業態転換。本来、市の中心部ではない会津若松駅前という立地ではあったが、立体駐車場を完備した大型店として、市の中心部である神明通りにあった長崎屋会津若松店や会津中合(中合会津店)とともに、会津地方を代表する大型店として一翼を担った。 しかし、2006年(平成18年)3月に開業したアピタ会津若松店(現在のMEGAドン・キホーテUNY会津若松店)などの郊外への大型店の進出に伴う売上の低下や、建物自体の老朽化も重なり、2009年(平成21年)6月30日に閉店した。 閉店後すぐに解体され駐車場となったが、2009年(平成21年)6月29日にマイカルや隣接した商店などの地権者で構成する「会津若松駅前地区再開発協議会」が発足して旧サティ周辺を含めた約9,300m2の土地の利用方法の検討を行い、大型店が撤退後に跡地を売却せずに地元側とまちづくりに乗り出すのは全国的にも珍しい取り組みとして注目を集めた。しかし、協議が難航したため2012年(平成24年)2月に結論が出ないまま協議会が解散となったが、協議は今後も継続するとしている。また、旧マイカルでこのような取り組みは初めてのケースであった。
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