ニコライ宗(ニコライ派)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 02:37 UTC 版)
「ニコラオス」の記事における「ニコライ宗(ニコライ派)」の解説
ヨハネの黙示録2章6節と2章15節には、「ニコライ宗(ニコライ派)」という謎の用語が登場している。この謎の宗教・宗派を、2章6節では「わたし(※右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者)もそれを憎んでいる」とある。ゆえに、「ニコライ宗」が、「神とイエス・キリストの教え」に反する、何らかの教え・体制であることがわかる。 「ニコライ」こと「ニコラオス」の語源は、『「人々の勝利」または「人々に対する勝利」』と、両義に解釈できるので、ニコライ宗とは、「神とイエス・キリストの教え=神権政治」に対する、「人々の勝利=民主主義」または「人々に対する勝利=(絶対)王政」とも、解釈可能と言える。 すなわち、「ニコライ宗を憎む」「ニコライ宗の教えを悔い改める」とは、『「(絶対)王政の廃止」と「民主主義の廃止」、そして「神権政治への移行」』を意味するとも、解釈可能と言える。 そして、この預言に基づき、実際に世界の歴史が動かされてきたと、考えられる。 また、「ニコライ宗(ニコライ派)」の一般的な説明としては、ヨハネの黙示録2章14節と2章15節に、 「バラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、躓きになるものを置かせて、偶像に捧げた物を食べさせ、また不品行をさせたのである。同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。」 とあるように、「ニコライ宗(ニコライ派)」と「バラムの教え」を結びつけることによって、 「初期キリスト教会(信仰共同体)の内、「内的な信仰さえ持っていれば、偶像に備えた肉を食べ、もしくは姦淫を行っていても罪にはならない」「内面の信仰さえあれば、外面の行動は何をしても構わない」と信じていた、極端な一派のこと」 と解釈される。
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