ニコラウス2世:教皇選挙教令
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「教会改革」の記事における「ニコラウス2世:教皇選挙教令」の解説
ニコラウス2世は1059年のラテラノ公会議で教皇選出は司教枢機卿が審議し、国王の権限を排除した教皇選挙教令を決議した。教皇選挙教令はドイツでは無効とされたが、皇帝の聖性を否定することで、それまでの聖俗混交を根底から改革していくものであった。 1071年にはミラノ大司教が皇帝ハインリヒ4世に指輪と杖を返還し、王は後任の司教を選任したが、ミラノでは教会改革派が選出され、教皇アレクサンドル2世が承認したため、皇帝と教皇は対立した。
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