ナット・ターナー論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 15:02 UTC 版)
「ウィリアム・スタイロン」の記事における「ナット・ターナー論争」の解説
スタイロンは自分のスタディオの扉の上に、ギュスターヴ・フローベールの言葉を掲げた。 「 生活を規則正しく秩序有るものにしろ。そうすれば仕事が強烈で独創的なものになる。 」 ある種金言であるフローベールの言葉はその後の数年間を予言するもののようであった。スタイロンが1967年と1979年の間に出版した2冊の小説に対する反応は、まさに強烈なものであった。スタイロンは、『この家に火を着けろ』に対する最初で真に激しい批評に傷付いており、次の小説の調査と構成に数年を費やし、1967年に18世紀に奴隷の反乱を指揮したナット・ターナーの自伝という形で『ナット・ターナーの告白』を書き上げ上梓した。この期間、ジェイムズ・ボールドウィンが数ヶ月間、スタイロンの客になっており、その小説『もう一つの国』を書いていた。 皮肉なことに、黒人作家ボールドウィンの『もう一つの国』は、白人を主人公にしたことで何人かのアフリカ系アメリカ人批評家によって批判され、ボールドウィンをしてスタイロンの前に大きな問題を予感させることになった。1967年の『ナット・ターナーの告白』出版直後のインタビューでボールドウィンは、「ビル(スタイロンのこと)は両側からそれを捕まえることだろう」と語った。ボールドウィンの言葉は予言として正しかった。ボールドウィンやラルフ・エリソン達がスタイロンを弁護したにも拘わらず、アフリカ系アメリカ人批評家大集団がスタイロンのナット・ターナーの描き方は人種差別の典型的なものであると非難した。 特に議論を呼んだ文章は、ナット・ターナーが白人の婦人を強姦することを夢想するところであり、批評家は南部で伝統的なリンチの正当化について、恒久化させる危険性があると指摘した。一方で、多くの批評家はスタイロンの小説ではナット・ターナーがその欠点があるにも拘わらず、強く、共感を呼び、英雄的に描かれていると指摘した。論争が続いていたものの、この小説はよく売れて営業的には成功であった。1968年にはピュリッツァー賞の小説部門、および芸術・文学アメリカン・アカデミーのウィリアム・ディーン・ハウェル賞を獲得した。
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