ドン・ジュアン伝説について
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「ドン・ジュアン (戯曲)」の記事における「ドン・ジュアン伝説について」の解説
この伝説の起源はスペインにあり、これを初めて戯曲にしたのはティルソ・デ・モリーナであった。この戯曲は、彼が修道僧であったせいか、宗教的な色彩の濃い作品となっており、ドン・ジュアンは単なる女にだらしない男としてしか描かれていない。 どのような経路でイタリアへ伝わったのかは不明であるが、おそらくコンメディア・デッラルテへ伝わってのことだと思われる。この伝説がイタリアに伝わってから豊かに肉付けされ、コミカルな要素がかなり増えて、宗教的な色彩が弱まった。1650年頃チコニーニ(英語版)などによってこれを題材とする喜劇が生まれた。17世紀半ば、イタリア人の喜劇劇団によって即興劇として、フランスにまでもたらされた。これが大成功を収めたので、いくつかのフランス語版「ドン・ジュアン」が生まれることとなった。 初めに手を付けたのは、ルイ14世の王女が所有する劇団に所属していたドリモンなる作家で、1659年にリヨンにて書籍として刊行された。かなり自由な翻訳で、翻案と呼んだほうがふさわしいものであったという。これと前後して、パリのブルゴーニュ劇場の俳優ド・ヴィリエが、極めて忠実な翻訳であると自賛するフランス語訳を作成した。この2人の作品は成功を収めたようだが、その内容はそっくりである上に、ド・ヴィリエが作品出版に際してその序文で、「イタリア劇団のドン・ジョヴァンニの評判のよさを聞いた劇団の仲間から、イタリアものをフランス語に移し替えるように勧められた」と述べているところを見るに、同じ作品を下敷きにしたと考えられる。ただし、この伝説を扱ったイタリア人の手になる作品は、チコニーニの作品しかないので、散逸してしまった別の作品を底本としたのだろう。確証はないが、1652年にナポリで出版された記録のある、ジリベルトの作品を下敷きにしたのではないかと考えられている。 この2作品は現在となっては、モリエールに着想を与えたという以外に文学的な価値がなく、内容的にも大して面白い題材とも言えないような「ドン・ジュアン」が大成功を収めていたのは、騎士の像が口をきいたり、主人公が雷に打たれたりする舞台技巧が当時のパリ市民たちに喜ばれたからである。
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