ドン・シーゲルとの出会い
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「クリント・イーストウッド」の記事における「ドン・シーゲルとの出会い」の解説
『奴らを高く吊るせ!』が公開する前に、イーストウッドは次回作『マンハッタン無宿』の撮影に入っている。この映画は、駆け出し時代に解雇されて以来険悪な関係だったユニバーサル映画からのオファーであり、ユニバーサル側は100万ドルの出演料を提示して和解を求めた。イーストウッドとの交渉はジェニングス・ラング(英語版)が担当し、彼はイーストウッドと監督のドン・シーゲルとの会談をセッティングした。イーストウッドはシーゲルの映画三作を見て、彼の能力に感銘を受けてオファーを快諾し、これ以降二人は友人となり、映画製作におけるパートナーとなった。出演を決めたイーストウッドは、ハーマン・ミラー(英語版)が書いた脚本に難色を示し、シーゲルが監督を務めた『Stranger on the Run(英語版)』で脚本を務めたディーン・リーズナー(英語版)を脚本チームに迎え入れた。イーストウッドとシーゲルの映画製作は10年以上にわたり、この映画は『ダーティハリー』の原型になった。また、音楽を担当したラロ・シフリンも、後にダーティハリー・シリーズに参加している。 1968年、『荒鷲の要塞』の製作費として85万ドルを支出している。イーストウッドはアリステア・マクリーンの脚本について、「恐ろしい脚本」と述べている。映画はドイツ軍の捕虜となった将軍を救出する連合軍部隊を描き、イーストウッドはリチャード・バートン演じるジョン・スミス少佐の補佐役シェイファー中尉を演じている。1969年には、生涯唯一のミュージカル映画となる『ペンチャー・ワゴン』に出演したが、映画は悪天候が原因で撮影が難航した。同年のクリスマス直前、長年イーストウッドを支えたレナードが死去し、イーストウッドは彼の死にショックを受けた。マルパソ・プロダクションはレナードの遺言によりボブ・デイリーが経営を引き継ぎ、ロイ・カウフマンとハワード・バーンスタインが財務を引き継いだ。
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