ドワイト・ハワードの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 13:47 UTC 版)
「オーランド・マジック」の記事における「ドワイト・ハワードの時代」の解説
2004年のオフシーズン、チームは大胆な再建に取りかかり、マグレディはスティーブ・フランシスらとトレードでヒューストン・ロケッツに放出され、フリーエージェントでヒド・ターコルーを獲得した。ドラフトでは1993年以来の全体1位指名権を獲得し、ドワイト・ハワード、ジャミーア・ネルソンを指名、時間を掛けて育成する方針を採ることになった。 2004-05シーズンは、健康になったグラント・ヒルがオールスターに出場する活躍を見せたものの、36勝46敗と負け越した。 2005-06シーズンは、ブライアン・ヒルがヘッドコーチに復帰、再びグラント・ヒルが故障したこともあり、序盤は大きく低迷した。チームはフランシスをニューヨーク・ニックスへ放出し、デトロイト・ピストンズよりカルロス・アロヨ、ダーコ・ミリチッチを加えた。オールスター後、チームは快進撃を続け、前年と同じ36勝46敗まで持ち直しシーズンを終えた。 2006-07シーズン、前シーズン後半の勢いを続けイースタン首位を快走している。最終的になんとかプレーオフに進出するが、4年連続カンファレンスファイナル進出中のデトロイト・ピストンズを止めることができず4連敗し、ブライアン・ヒルは解任された。 2007-2008シーズン前、マジックは大きな動きを見せた。スタン・ヴァン・ガンディをヘッドコーチに招聘し、長年チームに在籍したグラント・ヒルはフェニックス・サンズに移籍、シアトル・スーパーソニックスからラシャード・ルイスを獲得した。前年29位という得点力の低さを改善する為で、この動きはとても注目された。そして迎えた開幕戦、ミルウォーキー・バックスに19点差をつけ快勝。その後同じく大型トレードで成功を収めていたボストン・セルティックスに初めて勝利し、8連勝を止めてみせた。特に大黒柱のドワイト・ハワードの活躍は目覚しく史上最年少でリバウンド王に輝き、またヒド・ターコルーはMIPを受賞、チームはシャック&ハーダウェイ時代以来の好成績となる52勝30敗でレギュラーシーズンを終えた。プレーオフでは1回戦でトロント・ラプターズを降し、カンファレンス準決勝まで進出するが、ピストンズの前に2年連続で敗退した。 2008-2009シーズン、チームは14年ぶりにNBAファイナルに進出したがロサンゼルス・レイカーズに1勝4敗で敗れた。シーズン後、主力のターコルーがチームを離れ、ニュージャージー・ネッツからビンス・カーターを獲得した。 2009-2010シーズンのプレーオフでは1回戦、2回戦を無傷の8連勝で勝ち上がったがカンファレンスファイナルでボストン・セルティックスに2勝4敗で敗れシーズンを終えた。 2010-2011シーズン12月、主力メンバーでルイスをワシントン・ウィザーズへ、カーター、マルチン・ゴルタット、ミカエル・ピートラスをフェニックス・サンズへ放出した。代わりにウィザーズからギルバート・アリーナスを、サンズからジェイソン・リチャードソン、ターコルー、アール・クラークを獲得するビッグトレードを行ったが、このトレードが失敗となり、プレーオフには第4シードで進出したが、1回戦で昨年スウィープしたアトランタ・ホークスに2勝4敗で敗れる結果となってしまった。 2011-2012シーズンは、ロックアウトで開幕が遅れ、チームはドワイト・ハワードの契約問題に振り回された。そのハワードは契約を1年延ばしトレード期限後もチームに残留したが、腰の故障に悩まされシーズン終盤とプレーオフを欠場。大黒柱を失ったチームが勝てるわけがなく、第6シードとなったチームは、1回戦でインディアナ・ペイサーズに1勝4敗で敗れシーズンを終えた。
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