スタン・ヴァン・ガンディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/21 23:44 UTC 版)
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2009年のヴァン・ガンディ
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基本情報 | |
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愛称 | SVG |
国籍 | ![]() |
生年月日 | 1959年8月26日(66歳) |
出身地 | ![]() |
身長 | 173cm (5 ft 8 in) |
体重 | 122kg (269 lb) |
キャリア情報 | |
高校 | アルハンブラ高等学校 |
大学 | ブロックポート大学 |
指導者期間 | 1981年–2021年 |
経歴 | |
コーチ時代: | |
1981–1983 | バーモント大学 (AC) |
1983–1986 | バーモント州立大学 |
1986–1987 | カニシャス大学 (AC) |
1987–1988 | フォーダム大学 (AC) |
1988–1992 | マサチューセッツ大学ローウェル校 |
1992–1994 | ウィスコンシン大学マディソン校 (AC) |
1994–1995 | ウィスコンシン大学マディソン校 |
1995–2003 | マイアミ・ヒート (AC) |
2003–2005 | マイアミ・ヒート |
2007–2012 | オーランド・マジック |
2014–2018 | デトロイト・ピストンズ |
2020–2021 | ニューオーリンズ・ペリカンズ |
受賞歴 | |
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Coaching Stats Basketball-Reference
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スタンリー・アラン・ヴァン・ガンディ(Stanley Alan Van Gundy、1959年8月26日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州インディオ出身のバスケットボール指導者。NBAのデトロイト・ピストンズなどでヘッドコーチを務めた。ヒューストン・ロケッツの元ヘッドコーチ、ジェフ・ヴァン・ガンディは実弟。
経歴
カレッジ時代
父ビル・ヴァン・ガンディも大学でバスケットボールの指導者をしており、文字通りコーチの家系に育つ。ヴァン・ガンディのコーチとしてのキャリアはバーモント大学で始まり、その後1995年まで各地のカレッジ・大学でコーチを務めた。
1995年、NBAのマイアミ・ヒートのアシスタント・コーチに招かれ、2003年までパット・ライリーを補佐した。2003年、ライリーを引き継ぎ、ヘッドコーチとなり、2005年まで務めた。2004年、2005年といずれもプレーオフ進出を果たし、2004年はルーキーのドウェイン・ウェイドの活躍でカンファレンスセミファイナルまで、進んだが、インディアナ・ペイサーズに惜しくも敗れた。2005年はシャキール・オニールを獲得し、カンファレンスファイナルまで進んだが、デトロイト・ピストンズに敗れた。マイアミ・ヒートでは、112勝73敗(.605)の成績を残した。
2007年5月にペイサーズからリック・カーライルの後任ヘッドコーチにとオファーを受けたが断り、オーランド・マジックのヘッドコーチに就任した。2007-08シーズンはドワイト・ハワード、ジャミーア・ネルソンコンビの活躍で52勝という好成績でディビジョン優勝を果たし、第3シードでプレーオフに進んだ。1stラウンドでトロント・ラプターズを4-1で下したが、カンファレンスセミファイナルでデトロイト・ピストンズに1-4で敗れた。
2008-09シーズンは、主力の安定した活躍とコートニー・リーの新人らしからぬ働きで、59勝23敗第3シードでレギュラーシーズンを終え、プレーオフに進んだ。フィラデルフィア・セブンティシクサーズ、ボストン・セルティックス、クリーブランド・キャバリアーズを次々と撃破し、14年ぶりのカンファレンス優勝にチームを導いた。しかし、NBAファイナルはパウ・ガソルらの補強で強さをましたロサンゼルス・レイカーズに1勝しただけで敗れた。
2009-10シーズンはビンス・カーターを獲得し、3シーズン連続で50勝以上をあげレギュラーシーズを第2シード獲得で切り抜け、プレーオフに進んだ。シャーロット・ボブキャッツ、アトランタ・ホークスをスイープで退けたが、カンファレンスファイナルで、ボストン・セルティックスに敗れた。
2010-11シーズンは、4年連続50勝以上は上げたが、度重なるトレードの失敗も響きプレーオフは1stラウンドでアトランタ・ホークスに敗れた。
2011-12シーズンはロックアウトや、ハワードのトレード要求などに振り回され、低調な成績に終わり、プレーオフも1stラウンドで敗退し、GMのオーティス・スミスと共に、解任された。 マジックでの通算戦績は、259勝135敗(.657)であった。
2014年5月14日に5年総額3,500万ドルの契約でデトロイト・ピストンズのヘッドコーチ、球団社長への就任が決まり発表された[1][2]。
2020年10月21日にニューオーリンズ・ペリカンズのヘッドコーチとして5年間の契約に合意した。
ヘッドコーチ成績
NBA
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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MIA | 2003–04 | 82 | 42 | 40 | .512 | アトランティック2位 | 13 | 6 | 7 | .462 | カンファレンス準決勝敗退 |
2004–05 | 82 | 59 | 23 | .720 | サウスイースト1位 | 15 | 11 | 4 | .733 | カンファレンス決勝敗退 | |
2005–06 | 21 | 11 | 10 | .524 | (辞任) | — | — | — | — | — | |
ORL | 2007–08 | 82 | 52 | 30 | .634 | サウスイースト1位 | 10 | 5 | 5 | .500 | カンファレンス準決勝敗退 |
2008–09 | 82 | 59 | 23 | .720 | サウスイースト1位 | 24 | 13 | 11 | .542 | NBAファイナル敗退 | |
2009–10 | 82 | 59 | 23 | .720 | サウスイースト1位 | 14 | 10 | 4 | .714 | カンファレンス決勝敗退 | |
2010–11 | 82 | 52 | 30 | .634 | サウスイースト2位 | 6 | 2 | 4 | .333 | 1回戦敗退 | |
2011–12 | 66 | 37 | 29 | .561 | サウスイースト3位 | 5 | 1 | 4 | .200 | 1回戦敗退 | |
DET | 2014–15 | 82 | 32 | 50 | .390 | セントラル最下位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
2015–16 | 82 | 44 | 38 | .537 | セントラル3位 | 4 | 0 | 4 | .000 | 1回戦敗退 | |
2016–17 | 82 | 37 | 45 | .451 | セントラル最下位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 | |
2017–18 | 82 | 39 | 43 | .476 | セントラル4位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 | |
NOP | 2020–21 | 72 | 31 | 41 | .431 | サウスウェスト4位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
通算 | 979 | 554 | 425 | .566 | 91 | 48 | 43 | .527 |
脚註
外部リンク
- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket
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