ドミトリー・プリゴフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ドミトリー・プリゴフの意味・解説 

ドミトリー・プリゴフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 13:40 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ドミトリー・プリゴフ[1]
2005年
誕生 Дми́трий Алекса́ндрович При́гов
1940年11月5日
ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
死没 (2007-07-16) 2007年7月16日(66歳没)
ロシア、モスクワ
職業 詩人
コンセプチュアル・アーティスト
パフォーマンス・アーティスト
公式サイト http://www.prigov.com/
テンプレートを表示

ドミトリー・アレクサンドロヴィチ・プリゴフロシア語: Дми́трий Алекса́ндрович При́гов1940年11月5日 - 2007年7月16日)は、ロシア詩人芸術家である[1]

モスクワ生まれ。モスクワ芸術産業高等学校彫刻科で学んだ[2]1975年ソビエト連邦芸術家同盟ロシア語版に加盟、パブリックアート制作などに従事[2]。かたわらで地下芸術サークルに参加、非公式に前衛的な作品の制作を続けた[2]1986年、路上で自作の朗読したことから、逮捕され精神病院に強制収容された[1][2]ペレストロイカ進展で自由な表現活動が可能となり、西側諸国からも注目されるようになった[1][2]1999年から2000年にかけて講演や制作のため数次にわたり日本を訪問[1][2]2001年長編小説Только моя Япония(『私だけの日本』)を書いた[2][3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 柴田尚 (2004年). “土曜「聞く・語る」【北の文化】世界の芸術家を札幌に招く 柴田尚”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2018年7月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 鴻野わか菜 (2013年11月28日). “【研究ノート】現代ロシア詩人の肖像-ドミートリー・プリゴフ”. 『千葉大学比較文化研究』1巻. 千葉大学. p. 150-155. 2018年7月17日閲覧。
  3. ^ Только моя Япония (непридуманное)” (ロシア語). ozon.ru. 2018年7月17日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドミトリー・プリゴフ」の関連用語

ドミトリー・プリゴフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドミトリー・プリゴフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドミトリー・プリゴフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS