ドイツ留学まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:56 UTC 版)
1907年岩手県黒沢尻 (現在の盛岡市) に生まれる。10歳前後の頃に、鉱山採掘の仕事をやめた両親と姉と共に東京に移住。高等女学校に進学し、ピアノやヴァイオリンのレッスンに通い、演劇の勉強もした。関東大震災後の新しい時代風潮の中で、乗馬や射撃にも挑戦し、夢中になって打ち込めるものを探していた。彫刻家の安藤照と偶然出会い、彫刻のモデルを引き受ける。伸びやかな肢体の宮をモデルにした作品「めばえ」は1924年 (大正13) 第5回帝展で特選に選ばれ、更に1925年 (大正14) の作品「大空に」は、第7回帝展で特選に加え第1回帝国美術院賞を受賞した。 1924年9月に2年間欧米で研鑽を積んだ舞踊家の高田雅夫と原せい子が帰国。この年に高田・原の舞踊研究所に入門した宮は、11月に開催された帰朝披露第1回公演に出演している。その後も同舞踊団の公演に出演し、高田門下の看板的存在となって活躍した。1929年 (昭和4) 2月には、青森出身で後にパートナーとなる江口隆哉が高田・原舞踊団に入所するが、9月に高田雅夫が急逝。舞踊団を引き継いだ原せい子の下で宮は中心的な踊り手として活躍し、江口も加わって新しい舞踊の形を模索していく。
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